熱海市咲見町、大正の古きを訪ねる。(山口藤子・熱海今昔より)②

昨日は千代田区紀尾井町3丁目にある
ア◯ミ◯ルビル内にある、とある
社団法人にて、新規に発足する法人の
設立準備委員会に出席する。メンバー等、
詳細については今は言えないのだが、

強いて云えば、本拠地を熱海市内の
高齢者を含む健康寿命延伸に関する
介護予防事業の一環として設計士や
建築士及び会計士他が立ち上げた。

適切な予防医学の推進・普及に寄与し、
現世世代が活力をもって働き、
シニヤ世代が元気にやりがいをもって、
現役を続けられ、その結果、
介護負担の軽減をはかり社会的にも
貢献できる施設事業を目指しており、
雇用を生む事業内容となっている。

小生の役割は、あっ、これも現時点では
口にチャックをお許し願いたい。さて、

山口藤子さんの熱海今昔の②である。

・・・・・・・・・

大正15年人力車組合ができ、

車庫が今の熱海総合食品の処にあった。
あとは馬力車物資を運ぶ為通る、
一藤木材木屋、燃料屋があった。

それぞれ大きく商売していて、その為、
馬力車がよく通ったが、馬糞と、
長々と尿水し臭くて困ったもので、

直ぐ取り除いたり、水で流したり、
大さわぎしたものである。

お客は人力車を利用して旅館に行った。

駅前に提灯を下げ赤い毛布を持って
お客待ちしている車夫は
半纏、股引、独特の笠を被っていた。

梶棒の横に黒色のラッパがついていて、
時々プップーと鳴らしたり、
はいよーのかけ声の時もあった。

元咲見荘の処は下田牛乳屋と云った。
その一帯に牛が鳴く牧場で
牛乳を配達していた。(つづく)

(山口藤子さんと細野豪志氏)

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

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