午後4時過ぎに、
熱海駅前”そよ風”の”岩盤浴”で
リラックスしていたところ、
愚妻から電話が入った。
小生の古くからの理解者であり、
熱海「しろき旅館」社長で、
前熱海市筆頭監査役だった、
「馬場節男」氏が逝去したとの知らせだった。
馬場氏とは、
愚妻の実家が建築板金屋として、
しろき旅館の旧館からの出入りだった関係や、
鵜沢精一熱海商工会議所会頭宅での、
飲み友達として、
長年に亘って可愛がって頂いてきた。
体調を崩しているとは聞いていたが、
まさか・・・。こんなに早く逝くとは想像すらできず、
唖然としたまま帰宅する。
葬儀等の日程については、
議会事務局から連絡が入るだろうが、
先ずは”冥福”を祈る。
実は今日昼過ぎに、
夏がぶり返したような暑さとなったため、
「愛犬ふ~」との散歩を、
「熱海日金山霊園」まで足を伸ばしてきた。
今から12年前に、
写真家の故「蕪木研爾」氏から、
ー俺の墓守をしろーと、
蕪木家の墓の隣地をプレゼントされ、
その縁で、
没後は年に数回墓掃除を兼ねて墓参している。
蕪木氏は、
故池田満寿夫氏の
陶芸写真集を出版した際のキャメラマンで、
過去には銀座6丁目で、
電通御用達の「カブラギスタジオ」のオーナーだった人物で、
リタイヤ後に、
熱海に居住したことをキッカケに付き合いだ始まった。
蕪木氏は、
成城に自宅を所有しており、
東宝撮影所や国際放映に、
共通した友人の関係で、
小生とは親交を深めて頂いた。
熱海市内のお寿司屋さんで、
版画家であり陶芸家、
芥川賞作家として多彩な才能で魅了してきた、
故池田満寿夫氏を紹介したことで、
芸術家同士意気投合し、
プロのキャメラマンとして出版に華を添えている。
ただ、残念ながら、
蕪木氏は食道がんに蝕まれ力尽きたが、
小生の首には、
故人の奥方から形見として渡された、
”18K喜平ネックレス”が掛かっている。
また不思議な話だが、
「熱海金城館」にて、
蕪木氏の偲ぶ会が催され、
池田満寿夫氏と
小生が進行役を務めた一年後
蕪木氏の後を追うようにして、
満寿夫氏が突然この代を去り、
小生共々お二人と親交の深かった、
高橋弘会長(万葉倶楽部)が双方を見送っている。
そんなこんなで、
「日金山霊園」で運気を吸ってきた矢先の、
馬場氏の訃報だったのである。