今日の都内出張を前に
神奈川新聞に連載された
高橋弘会長(万葉倶楽部)の自伝、
”わが人生”からその⑨を転載する。
私の子供時代は、戦争の時代でした。
通っていた
静岡の熱海市熱海国民学校
(現熱海市立第一小学校)には
兵隊さんが来たり、
掲示板にシンガポール陥落の
記事が張られていたりしました。
体育で行なうサッカーは。
”敵性語”の英語を避け
「蹴球」と呼びました。
3年生になった1944年の末頃から、
米軍機の空襲が本格的になりました。
熱海は観光地なので
私は実際の空襲は体験ありませんが、
校庭に防空壕を掘り、
逃げ込む訓練をしました。
東京•横浜方面から
大勢の子供たちが
疎開してきました。
縁故疎開の子供たちは
同じ学校に通って来るので
直に仲良くなりました。
そのうちの一人とは
70年以上たった今も
親交が続いています。
(つづく)