三味線初稽古 in 芸妓置屋 市山

今夜も後楽園ホールで開催される
ボクシング観戦のため、
トモダチのワンボックカーで上京する。

帰宅時間が遅くなることが
予測されるため早めの
ブログアップは、

先日facebookで公開した、

芸妓置屋(市山)の

 
北野姐さん(中村和子)さんとの、
交流について記載したい。
 
熱海芸妓置屋のルーツは、
 
1895年(明治28年)に
湯河原吉浜と熱海間10,4kmに
人車鉄道が敷かれ、
熱海駅の誕生とともに

 
芸妓置屋「市山」の女将•北野(中村和子)の
義祖父が開業した
喜美家だという。と、いうのも、 
 

明治の鉄道王といわれた、

雨宮啓次郎が開設した
「人車鉄道」熱海駅長に、

北野姐さんが嫁いだ
中村家の義祖父の長男、
中村新次郎が赴任したことに始まる。

 
新次郎は市山流3代目、
市山直治(中村かね)の夫であり、
その3代目直治もまた、

 

”遊芸師匠”として、湯治客に

日本舞踊を披露する事を
新次郎に薦められて、

熱海初の芸妓置屋”喜美家”を開業したのです。

 
現在見番で舞う芸妓衆の踊りは
花柳流ですが当時は、
 

明治維新後の

歌舞伎の時代考証を担当していた、
”市山流“を家元として
日本舞踊を披露していたようです。

 
と、いうことで、
 
北野姐さんが継承する
市山流は100年以上の歴史をもち、
 

明治維新後の

熱海温泉を飛躍的に広めた
鉄道の発展と共に
歩んだと云っても過言ではありません。

 

旧知の北野姐さんから、

市山の看板と歴史を継承する
”語り部”として依頼されたことで、

踊りはダメでも少なくても

”三味線”だけでも弾けるようにと
稽古三味線をプレゼントされ、

先日

北野姐さんの自宅で初稽古となりました。

 

早速、コマを三味線にセットして
指擦りをつけ膝ゴムをあて、

爪弾きという演奏方法で
右指と左指(ツメ)による弦調と
弾き方(三下り)を教わりました。

 
三味線を習うのは、
指を使ってのボケ防止だけでなく、
せめて、

さくらさくらや湯の町エレジーが
弾けるまでを目標にしています。

 

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

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