ついに発射された北朝鮮の”ロケット”だが、
報道を伝えるテレビのテロップには、、
”飛翔体”と呼称されていたことから、人工衛星の類であり、
幸い日本領域には落下物はなかったようで、先ずは一安心。
で、今朝は10時より、
「丹那神社」奉賛会による、
本年度の例大祭が斉行された。
一昨日「丹那トンネル」感謝祭と
慰霊式が行われたばかりだが、この丹那神社、
大正10年4月1日の崩落事故で犠牲となった、
16人を祀る神社として創建され、その後の殉職者を順次合祀、
祭事は、市内9町内を柱とした実行委員会が運営し、
毎年、市議会を始め多くの関係者が参加している。
ただ、小生は先約のため欠席したが、
「愛犬ふ~」と山の手を散歩捨ている途中、
神事に向かう、高橋幸男副議長とバッタリ。これこれこういう事情でと、
出席できない理由を説明する。
来客との打ち合わせを午前中に済まし、
午後1時より、”熱海KKRホテル”にて、
”熱海梅園環境再生”に億単位の資金を提供した、
「大塚実」大塚商会相談役会長への感謝の会に出席する。
主催は「熱海市民の会」(山田芳和会長)で、
大塚氏の口から、熱海再生への想いに胸を打たれ聞き入る。
詳しいことは週明けにでも報告するが、
挨拶が一通り終了したところで中座する。
また、これから夕方の5時30分には
「小田原駅」西口にて、
ここ2ヶ月連続して「日本ジャンボーゴルフコンペ」で回り、
”相性”の良さを確認しあった、
石森公夫、田内逸生両氏と会う予定となっているので、
「愛犬ふ~」との午後の散歩を早めに切り上げ、ブログアップする。
(先月22日石森氏とにらやまカントリーにて)
さて、一日遅れとなったが、小生の従兄弟で、
先月24日、山梨県内の病院で肝臓がんのため69歳で逝去した、
児童文学者「故佐藤真佐美」氏を、
(山梨日日新聞3月25日号より転写)
数少ない親族への哀悼の意を込め紹介させて頂く。
故佐藤氏は、小生の親父の兄貴の長男として、
1939年3月29日、北海道斜里郡清里町で生まれた。
(左より33年前の親父(故佐藤茂)と実弟明と旧サードマン(現中央町千夜)にて)
酪農学園野幌農業高校から、札幌短大、
玉川学園大学文学部を卒業して、
1971年から一年間アメリカ遊学して、
1973年に「マンガの世界」で北川千代賞佳作、その後、
酪農大学と玉川学園大学の図書館司書を勤め、
1974年に山梨県市川大門町に移住する。
・山梨県スポーツ奨励賞
・山梨県文化功労賞奨励賞の他、著作として、
・「これはしつれい大せんぱい」
・「ジョンガラの歌がきこえる」
・「ぼくらは地底王国探検隊」
・「ぼくらは知床岬探検隊」
・「ひよいこのかいかたしっている?」
・ゆりこと宇宙人ビリビルの冒険」
・「甲斐むかし話の世界」
・「山梨学院大学箱根駅伝物語」他、山梨日日新聞によれば、
山梨学院短大、山梨英和短大講師などを歴任、
県内の児童文学勉強会、子ども文学探検隊で講師を務めるなど、
創作活動の底辺拡大に尽力した、とあり、
やまなし県民文化祭文学部門専門委員・審査員の他、
市川大門、市川三郷町議も努めた。
酪農大学図書館司書時代、
江別市野幌に住んでいたアパートに、高校1年の夏休みの期間中、
長逗留して迷惑をかけたことや、
山梨に移住して直ぐ、
熱海に訪ねてきた思い出が残っている。
町議となったのは知らされていたが、
児童文学者としての肩書きについては最後まで知らないでいた。
電話では節目節目に連絡が入ったが、
故人が町議となってからは疎遠となっていた。7歳違いの努力の人、
故「佐藤真佐美」氏の冥福を祈ります。
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