今日(12日)午後から、
友人の「田中敬一」氏が入院している、
「岡村記念病院」に、
www.okamura.or.jp/
お見舞いに伺った。
田中氏はスナックのオーナで、
その店名から、
”スーパーマン”という愛称で知られている。
熱海市中央町のスナック、
「スーパーマン」のマスター、
田中敬一氏が、
スナックを開店したのは、
昭和53年頃だから、、
今から約30年も前のこと。
地方出身の「田中」氏は、
当時一世を風靡した、
熱海の”キャバレーチェーン”を、
振り出しに、
当時流行のハリウッド映画、
「スパーマン」から店名を”パクリ”、
笑える”スナック”をコンセプトに、
開店以来、
現在まで”マンネリ”を売りとして、
多くの顧客を開拓してきた。
小生が、
現在地のビルを取得し営業を開始した、
昭和59年には、
地下一階において、
”配達する”コインランドリーを、
開店して話題を集めている。
このとき「田中」氏が、
熱海市内で初めての、
コインランドリービジネスの、
先駆者という記憶がある。
最終的には、
夜の商売が大忙しで、
2年ほど後、
やむなく閉鎖したのだが、
当時、
ビジネスホテルの滞在者等や、
単身赴任者には大いに重宝され、
商才の一端を覗かせていただいた。
180cmを越す長身で、
切れ長の目、
オープン当初は、
模倣芸の”二の線”に徹し、
スーパーマンは元より、
フジテレビの人気時代劇、
「銭形平次」(大川橋蔵版)の格好で、
”舟木一夫”の歌を
”8トラック”テープカラオケで歌い、
バラエティに富んだ、
客層から拍手喝采を浴びた。
その間、
殆どが朝まで営業のあとは、
ゴルフに”潜り”、
ダンスにカラオケと
つい最近まで、
”スーパーマン”的
超人ぶりを見せ付けていたのだが、
積み重なった
不摂生が祟ったせいか、
先月、
「熱海こがし祭り」の、
7月15日未明、
いつものように、
カラオケを歌っていたところ、
急に胸が熱くなり息苦しくなったという。
54歳の今まで、
一度も病に伏せたことがなく、
このような症状も
体験したことがなかったのだが、
「看護師」である奥さんの機転が功を奏し、
大事に至る一歩手前で、
「岡村記念病院」に担ぎ込まれ、、
”心筋梗塞”と
www.ichiba-md.jp/LS/IHD.htm
診断されたのである。
ただ、入院した先月24日から、
今日まで定期的に、
一日数回「不整脈」が遅い、
ー一瞬、気を失うーようになるという。
これがなかなか厄介な”病”だそうで、
「冠動脈造影では、右冠動脈の、
再狭窄は認めず、
心室頻拍は順天堂にて精査をして」と、
岡村記念病院の診断では、
不整脈が2週間で治まれば
退院もありうるのだが、
未だ続いており、
このままでは、
治すには「アンカロン」という
強い薬を投与しなければならず、
ただこの薬は、
脈拍が遅くなるなどの副作用を伴い、
これが続くと、ペースメーカーや、
結果的には、
「ICD]を体内に埋め込むことになると、
診断され、
明後日には
「順天堂病院」に再入院するという。
熱海、ここ30年間の
”夜の交遊録”がギッシリ詰まっている、
パブスナック「スーパーマン」。
早期復帰で、
克服した”病”をネタに、
今度は、
ケーシー高峰バリに、
白衣をユニフォームに変え、
その経験を元に、
元気な姿を見せて頂きたいものだと、
田中氏を、
笑わせてきたのだが、
心筋梗塞は生活習慣病。
ある日突然、
何の前兆もなく”襲い掛かってくる”。
小生も、
田中氏の病を反面教師に、
「DR喜多」の健康手帳を参考にして、
これからの人生を、
楽しく生きる努力を続けたいものである。