熱海芸妓置屋連合組合(飛高多恵子組合長)、
恒例となった、
第17回「熱海おどり」は、
今日28日(金)午前11時30分より、
市内中央町の、
熱海芸妓見番歌舞連場で開幕した。
このイベントは、
明日29日(日)までの両日開演され、
熱海芸妓衆の日ごろの修練の成果を発表する。
熱海おどりは、
平成10年6月”湯めまちおどり華の舞が、
熱海市の後押しにより開演されm
今年で8年目を迎える。
毎週土・日の二日間は、
午前11時より一回公演を続けており、
口コミやメディアの影響で、
旅行業者が観光ルートの組み入れたことで、
国内はもとより、
中国、韓国の東南アジアを含む、
外国人観光客の観賞が目立って増えてきた。
小生は、番組のうち、
長唄”元禄花見踊り”(写真上)と、
常磐津”釣女”(写真下)を楽しませて頂いた。
釣女は、
能狂言で、大名が神の示験により美女を吊り上げ、
太郎冠者は醜女を得て閉口するという筋で、
踊りや能に精通していない小生でも、
狂言回しの面白さで”魅せ”、
観客から笑いと拍手を浴びていた。
今日の舞台に登場した
白塗りのの姉さんのうち、
小生が顔を知っていたのが、
元禄花見踊りの立方、”七恵”さんと、
地方で登場の、”初玉”姉さん。
時間の関係で、
最後まで見届けられなかったのが
残念だったが、
熱海芸妓組合の沿革だけでも、
パンフレットを参照に、お伝えしよう。
明治10年、
坂東三代吉師は樋口ろく遊芸師として、
熱海浜町に居住して、
宿屋に滞在した客に稽古の相手をしていた。
長唄は杵屋、踊りは坂東流で、
岩倉具視のお墨付きだった。
明治43年には三代吉師の、
功労記念碑を明治の豪商、公爵、候爵という
上流社会の人たちが、
大乗寺の山門のところに、
等身大の碑を建てたといわれている。
今は当時の碑は跡形もないが、
芸妓の祖として、
三代吉師の菩提寺として、
平成4年芸妓組合で、
大乗寺に、
”撥扇塚”を建立している。
大正元年には三代吉師の後継者、
喜久さん遊芸師の妹である、
”はな”さんが「春の屋お花」として、
遊芸師となったが、
この頃は、
芸妓として認めてもらえず、
遊芸師でなければ
宿屋への出入りは許されなかった。
芸妓と呼ばれるようになったのは、
昭和7年”熱海芸妓組合”が設立してから。
芸妓、元遊芸師は大正7年頃27~8名で、
昭和11年には195名と急増した。
昭和25年の「熱海大火」により、
置屋も大部分が焼け出され、
昭和29年4月、
現在の建物が完成した。
GWをむかえ”熱海市”は、
初島ところてん祭り、
姫の沢公園の花祭り、
ふれあい産業祭り等イベントが目白押し。
小生等「熱海会」は、
5月2日、初島ところてん祭りに伺う予定だ。