熱海市の繁栄と基幹産業の様変わりに思う、旧「ホテル静観荘」の思い出。

今朝、
愛犬との散歩時間帯は

午前5時30分前後から始まるのだが、
自宅前の県道には、
昨日も今日も、
路面は濡れてはいたのだが、
雨は小休止していたが、

帰宅後のTVからは、

都内を含めて
雪の弊害による経済的なダメージが
予想外に大きいことが、
報じられていた。

さて、

朝食後着替えのために、
自宅3階の着替え室に入り、
窓から、
マックスバリュー咲見町店を俯瞰すれば、
開店前の様子から、
時折、
思い出すのが「ホテル静観荘」である。

当時の、

ホテル静観荘は、
大舞台でのショーが売りで、
そこには、
多くの芸能人が集まり、
宿泊客だけでなく、
一部市民を集めて盛況だった。

特に思い出すのが、

約40数年前、
小生が現在の自宅ビルを買収さる際には、
前記の、
ホテル静観荘代表の
M宮氏の存在が大きかったことは、
これまでも、
何度か記しているが、

今一度、

小生がこの地に進出した当時の、
ホテル静観荘に関する
いくつかの思い出について
書き記しておきたい。

(つづく)

当時、

熱海市内には静観荘のほか、
市内最大のホテルとして、
旧ニューフジヤホテルがあり、
そこでは、
ラスベガスオンアイスなどの、
大掛かりなショーを常設したことで、
宿泊客のみならず、
一部市民からも喝采を浴びていた。

ホテル静観荘には、
レストランシヤター「サーフクラブ」があり、

水原ひろし、城健三郎(若山富三郎)
北島三郎他、
数え切れない歌手やタレント等が
舞台を飾っていた。

小生が自宅ビルを買収する前の、

昭和56年9月17日、
ホテル静観荘サーフクラブにて、

星降る街角が大ヒットした、
初代・敏いとうと ハッピー&ブルーが、


続いて、
秋葉豊とアローナイツが出演し、


(アローナイツ、木下あきらさん)

市内の
ファン層を含めた歌謡ショーに、
喝采が集まった。

この時代は、

観光地熱海の景気は、
消えゆく残火のように微かな、
艶と潤いが
残っていた時代だったと記憶している。

この時代には、
静観荘のAオーナーに可愛がられ、
サーフクラブに出演した
数多くの
タレントさんとも親しくさせてもらい、
また、
自宅ビルを取得できただけでなく、
その後の、
時代の流れとともに、
今だに、
元気でいられるのも、
ホテル静観荘があればこそと感謝しており、
時々、
自宅3階から思いを馳せている。

また、

秋葉豊とアローナイツの
木下あきらさんは
現在でも、
活躍しているようですが、

敏いとうとハッピー&ブルーに所属していた
ボーカルの
森本英世さん(写真)は今どこに?

 

 

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

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