髙橋弘会長(万葉倶楽部)”わが人生”⑪

神奈川新聞に連載された
高橋弘会長(万葉倶楽部)の自伝、
”わが人生”その⑪。

ーやがて空襲警報が頻繁に
発令されるせいで登校が難しくなり、
地区ごとに別れて
授業するようになりました。

分散教育です。

私の地区は伊豆山神社の
社務所が教室になりました。

1~2人の先生が
地区の全学生を担当しました。
鉛筆も紙も欠乏していたので、

ちゃんとした授業は
できなかったように思います。

1945年8月16日、
正午の玉音放送は自宅で聞きました。
4年生でした。暑い日で、

午後は友だちと
海に泳ぎに行きました。

浜へ続く伊豆山神社の
長い階段を下りながら、
こんな会話をしたのを覚えています。

「日本は負けたんだな」
「でも、また外人さんが来るようになるね」

伊豆山には

熱海ホテルと樋口ホテルという、
外国人も宿泊できる
リゾートホテルが2軒ありました。

熱海ホテルは白い壁と赤い屋根をした
スパニッシュ様式の美しいホテルでした。

戦争が激しきなる前は
近所で外国人を見かけることも
シバシバあり、

「外人さん、グッドバイ」と
元気にあいさつしたものです。

子供心に平和な時代と
外国人の姿が重なり、

戦争が終わったことに
明るい気持ちを招いたのでしょう。

(つづく)

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

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