熱海芸妓衆激減にみる基幹産業の脆弱な基盤。

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これから都内から来熱する車で
和歌山に向かう予定だが、

細川淳一氏からの連絡では、
東名高速集中工事の影響なのか、
まだ、朝の8時前だと云うのに、
港北インター付近で
渋滞にハマっているという。

この調子では一時間遅れで目的地に
出発することになりそうである。

さて、昨日の続きだが、

これまで幾度となくご案内してきた
熱海温泉の繁栄の歴史だが、

明治33年以降の100年有余、
読売新聞に連載された、

尾崎紅葉(金色夜叉)で、
食いつないできたといっても
過言ではない。ただ、

昭和50年代に入りバブル崩壊や
産業構造の変化、レジャーの
多様化等で団体客が激減したことで、
宿泊施設が相次いで、

休廃業や倒産に追い込まれると共に、
税収の落ち込みが顕在化していった。

それから約20数年、昨今の

高齢化社会の到来とともに、
温泉と空気、良質な水や景観を求める

首都圏からの終の住処を求める
高所得者の移住が増加ししており、
それを待ち構えるリゾートマンションも
造るそばから完売しているようだ。

ただ、その一方で、

市内の人口の約48%近くが、
65歳以上の高齢者でそのうち、
37%以上が一人暮らしであり、

空き家や古くなった共同ビルが
顕在化しているのも事実である。

一見、華やかな外観からは
窺い知れない定住人口の動態から、
一時取りざたされた、
熱海温泉の夕張化への懸念は、

熱海芸妓衆の極端な減少からも
強ち解消されたとは云えないのである。

おっと、話しが逸れてしまった。
本題に戻ろう。(つづく)

 

 

 

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

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