故菊間一光氏の一周忌(富西寺)

今日は故菊間一光氏一周忌の法要が営まれた。

午前11時40分に故人の菩提寺である
南熱海和田木「富西寺」までは、一旦、中野の
ニコーバスに車を置き、合流した雨宮嵩彦氏と
国道135号線を駄弁りながら歩いて向かった。

法要は関連家族の他かつては一光ファミリーと
称された方々が集まりしめやかに営まれた。

故人を偲ぶ会食は市内の中華料理店にて
故人の知られざる生前から亡くなる間際までの
エピソードが夫人から語られるなど、これまで、
モヤモヤしていた故人の晩節が明らかとなった。

網代の漁師の倅から、熱海市内に鮮魚店を開き
時の権力者、旧金城館の故宇佐美鉄三氏の
知遇を得たことで旅館業に乗り出し、

”網元商法”を前面に打ち出し、主に
神奈川県下の顧客をターゲットに絞り、
”当たっているから続けます”等等、小生は
印刷を任され宣伝販促チラシを担当した。

中央ホテルは、それまでレンタルしていたが、
売り上げが急上昇したことからホテルを買収し、

最盛期には和田浜南町にあった、
旧魚見崎ホテル(現ウオミサキホテル)を
買収してWホテルのオーナーとして業績をあげ、

ついには、熱海市観光協会とホテル旅館組合の
トップにまで上り詰めたのである。ただ、

その風雲児も晩年は病に倒れたことで、
ホテル経営に困難をきたし廃業已む無しの
決断の後、全ての役職から離れ熱海を去った。

そして昨年11月に緊急入院した湯河原千歳病院にて、
帰らぬ人となったのである。あれから一年、

親族と関係者が集い、故人を偲んだ。

(写真は菊間ファミリー(当時)ハワイ旅行)

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

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