台風11号の進路が気になる熱海温泉だが、
その影響を欠片も見せないほど、朝から
灼熱の太陽が降り注ぐ絶好の祭り日和となった。
今日と明日の2日間は恒例の来宮神社例大祭、
(こがし祭り)一色に染め上がるなか、今朝は、
自宅ビル駐車場に”宮神輿k”が入るため、
早々に愛犬ふ〜を車に乗せ駐車所を空にして、
市内の混雑を予測して湯河原の千歳公園へと
定番散歩を変更した。小生、今年の祭りは、
町内をウロウロするだけにして、祭典会場への
山車の行進はパスして、ラーメンハウスにて、
首都圏からの知人を接待する予定である。さて、
成島柳北と飯田豊治を軸に、誰も知らなかった
熱海と台湾を結ぶノンフィクションを基に、
心踊る夢のようなイベントプランの実現に向けて、
その原点となる、熱海の恩人と称される成島柳北を
議会事務局から届いたメールと日刊アタみに掲載された
小林米男氏のコラムを抜粋してご紹介していく。
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成島柳北(1837.2.16~1884.11.30)
朝野新聞主宰 ・・・当時の「読売」、
「東京日日」などと並び、3本の指に入る
発行部数を誇る新聞。
明治11年9月
箱根から十国峠を越えて熱海に入湯に訪れ、
時の紀行文として、朝野新聞社発行の
「花月新誌」に「澡泉紀遊」を連載。
これにより、熱海の美しい風光が改めて
広く世間に知られるようになった。
明治14年
熱海文藝に掲載の熱海紀行文
「鴉のゆあみ」では、その当時
熱海に滞在した湯治客、多くの知名人が記されている。
柳北は、明治11年頃より毎年
熱海に遊びに来ており、その時の常宿は
元の富士屋ホテル(当時は樋口旅館)であった。
これらの功績により、富士屋ホテルの庭園内に
碑が建立されたが、その場所では
市民に知られることがないことから、昭和52年、
市が寄贈を受け海浜公園内に移設した。
(つづく)