熱海の大恩人「成島柳北」の碑。

今朝は久しぶりに富岡熱海市図書館長と
電話を通して会話ができた。議会事務局から

成島柳北に関する簡単な資料は昨日のうちに

メールで届いていたが、更に詳しい柳北の、
熱海温泉滞在時の交友録や文献並びに資料等、
富岡図書館長に問い合せる。Wikipediaには、

熱海温泉知名度普及に関する項目はなく、
柳北の子孫である、飯田慎一氏もまた、
柳北に関する資料は殆ど持っていなかった。

もっとも主題は、”飯田豊二”が明治時代に
当時の日本政府の命を受けて、台湾・高雄に

””下淡水渓鉄橋”を建設した功績を称えて、昨年、

高雄知事主催の百周年記念式典開催時に、
飯田慎一氏が豊治の子孫として来賓に招かれ、

その御礼に豊二の足跡をアニメで残したい。と、
西畑中道氏に相談していたのだ。ところが。

西畑氏は佐藤一斎の”言志四緑”をアニメ化した、
”おじいちゃんとぼく”の制作に追われ多忙であり、
小生にお鉢が回ってきたのである。ただ小生は、

アニメ化より先ず映像化のための企画書と
台本づくりを先行する事を提言した。この話し、

明治維新を機に熱海温泉に訪れた歴史上の
人物が次々と登場するだけでなく、舞台が

統治時代の熱海と台湾を結び、そして、

誰も知らなかった成島柳北と飯田豊二を
現代に甦らすことで、ドラマチックなストーリーが
次々と浮かんでくるではないか。また小生も、

間接的だが、柳北とは新聞繋がりの縁がある。

その昔(昭和50年)、熱海市議会選挙で
トップ当選した当時の熱海新聞社社主だった、

故久保田千秋氏が尊敬していた柳北の名前は、
記憶の中に微かに残っていた。そして今日午後、

富岡図書館長から届いた資料の中に何と、
その昔小生が発行人だった、「日刊アタミ」の
コラムがコピーされ同封されていたではないか。

当時の図書館長、小林米男氏が書いた、
日曜文芸”熱海文学百景”だった。そこには、

成島柳北を「大恩人の柳北」と題して、
計4回連載されていた。何という偶然なのか。

富岡館長の知識と博識、依頼人への的を得た
対応に心より感謝しながら、早速、人の縁の

不思議さを噛み締めながら、丁度来社中の
佐口静男氏(佐口農園)と柳北の碑がある、
海浜公園へとひとっ走りする。
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村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

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