森田金清氏(熱海観光協会長)熱海市長選出馬表明!

実は昨晩のうちに、森田金清氏(ホテル聚落)の熱海市長選出馬表明文を
掲載する予定だったが、熱海ネット新聞(松本洋二主幹)に譲り
今日のブログで掲載する。その内容はこれまで2期8年の現職の市政運営を
知りつくし、その行き届かないでいる不備を点を真っ向批判するもので、
長く議会に係っていた関係者のアイロニーが散見する文言が並んでいる。

現職の斎藤市長、田中秀宝市議に続いて自らが率いる熱海市観光協会の
総会の席上で正式に3人目の候補者として名乗りを上げた。それでは、

森田金清氏の熱海市長選出馬表明文を数回に分けて掲載する。

ー2006年、斉藤市政は誕生しました。しかしこの8年間で
熱海市は、若者の減少、商店数の減少、生活保護率、高齢化率、
出生率、健康寿命などが確実に悪化しています。

静岡県内でも一、二を争う負の状況を無視し、

「この街は着実に良くなっている」という斉藤市長は、
その成果を三大建設プロジェクトに求めること自体、
全くの思い違いであります。

散骨場建設の問題、熱海駅前整備事業もまとまらない現状、
これらは全て行政能力やリーダーシップの欠如を示しています。

このままでは任せらません。3・11の未曾有の大震災を経験し、
それまでの我々の価値観は大きく揺らぎ、
安全な暮らし、安心した暮らし、地域の絆といった、より

本質的な暮らしの豊かさが望まれる現在において、私は
これからの市政は、言葉だけではなく真の市民参加によって
基礎から築き上げていかなければならないと痛感し、まずは

自らその礎を築きたいと市長選挙へ立候補する決意を固めました。

私は過去6年間観光協会の会長を務めてきましたが、
ただイベント等を実施してきただけではなく、

ボランティアガイドの会やNPO法人の方々と協働で
街歩きなどを実施して魅力的な熱海をつくってきました。

これからはその協働の精神を、教育や子育てや、
福祉や防災など他の様々な分野にも活用していきたいのです。

私の祖父母は昭和の9年の丹那トンネル開通により、
熱海に大きな可能性を感じこのまちに移り住んできました。

私自身は昭和43年5月16日に生まれ、昭和39年の東京オリンピックと
新幹線開通により、熱海が活気づいていたときに幼少期をすごしました。

当時は、父も母も熱海に大変な自信と誇りも持っており、私も
熱海がいかに素晴らしいところか教えられました。

学生のころ「ご出身はどこですか」と聞かれると、
私は静岡と答えたことはありません。伊豆と答えたこともございません。

私はいつも胸を張って「熱海です。」と答えてきました。尋ねた方も
異口同音に「素晴らしいところにお住まいですね」と言って頂けるもので
熱海は日本一素晴らしいまちだと信じて育ちました。

しかし時代は変わり、今は、残念ながら
自分の子どもたちに自信を持ってこのまちで暮らしていくことを
薦められない状況になってしまいました。現在熱海市は、

この地で生まれ育った方々、そして風光明媚な熱海に夢を持って、
生活の拠点を移してくださった方々、豊かなセカンドライフを求めて
移り住んでくださった方々、様々な方々で構成されています。しかし

その誰もが熱海市民であることに変わりはなく、等しく
この街とかかわり、その思いの丈を市政に反映させる権利と、
次世代へ引き継いでいく責任があるということを、今改めて
確認しなければなりません。ですから、今ここで、

全市民が協働で暮らしを築いていく仕組みづくりを始めなければなりません。
例えば教育分野においては、次のように考えます。(つづく)

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村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

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