熱海市咲見町奉安殿に鎮座する「神武天皇像」は彫刻家・山本瑞雲の作品。

今朝は午前4時に起床、高橋弘会長が自宅に迎えにくる前にブログアップする。
そんなに急いでど〜した、と、思う方だけにお教えしよう。これから
長野県南佐久郡にあるゴルフ場に向うのである。早い話し、毎月恒例のゴルフコンペを
高橋会長の誕生日(昭和10年7月10日生まれ)を記念して、
八ヶ岳近くにあるカワカミバレーゴルフ場に向っての早起きなのだ。スタートは

午前10時30分。多分、今夜はクタクタのバタンキュウ〜。ならば、
出発前にブログ更新と相成った次第である。今日のテーマは

我が町内会(咲見町)奉安殿に鎮座し、年に2日間、
来宮神社例大祭(こがし祭り)の山車コンクールにお披露目される、
神武天皇像」の由来について少々。現在、平成の金色夜叉をテーマに
日本ストーリーデザイン大賞を広く募集しているが、尾崎紅葉と
同時代に活躍した国宝級の名作を多数残した彫刻家
「山本瑞雲」についての由来記と彼の足跡をネットからご紹介する。実は

山本瑞雲は慶応3年に熱海市で生まれている。明治15年高村光雲の門に入り、
明治23年勧業博覧会に「亀」を出品する。また、東京彫工会競技会には「鹿」を出す。
米国シカゴ博覧会出品の「垣野王」は銅賞牌を。その後仏像の製作補修にあたり、
大正6年栴檀社を組織して木彫界の新運動 のため気を吐いた。大正11年聖徳太子奉讃委員となり、
昭和に入つてからも本郷東片町大円寺の聖観音、六臂如意輪観音、八臂不空羂索観音、
八臂馬頭観音、 十八臂準捏観音脇侍二龍人等を製作し、昭和11年には
浅草寺待乳山祥天の毘沙門天、三方荒神両脇侍を作つて努力精進を重ね、
昭和16年3月13日中野区の自宅で脳溢血のため逝去した。享年75。下記神武天皇像は


明治27年、瑞雲23歳の頃の作品。立身出世の祈願を込めて制作し、咲見町に奉納した。また、
この神武天皇像の制作に併せて、近くの藤森稲荷には”狐”n彫刻を奉納している。そして、
瑞雲の弟子には日本を代表する彫刻家「澤田政綱」がいる。山本瑞雲にスポットを当て
平成の金色夜叉を創作するというのも、ストーリーデザインとしてはアリの話しだ。

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

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