故雨宮治興来宮神社宮司の家族葬(密葬)が滞りなく終了した。
昨日の訃報から丸一日、雨宮家の葬儀に参列させて頂いた。だが、正直、
宮司さんが亡くなったことを実感できずにいた。長年、間近で接してきたが、
訃報に接しても悲しみの涙が零れてこないでいた。しかしながら、さすがに、
雨宮盛克氏(禰宜)と雨宮高彦氏(ニコー社長)の父や兄を憶う弔辞を聞くうち、
万感胸に迫るものがあり、涙腺が一気に緩んでしまった。また昨夜は、
通夜の席で、岡本文作氏(岡本設計)が故人と神社の運命的巡り合わせを、
新聞の切り抜きフィルを持参し披露した。岡本氏は、
ー昨年の5月2日神社の大楠が倒れその反動で鳥居が倒壊。
昨日、宮司さんが逝去した日も、5月2日だーと、ファイルを指差すと、
空かさず、雨宮高彦氏が話しをつなげた。ー兄貴の誕生日が11月10日。入
院したのが昨年の11月10日ですー。単なる偶然だとは思えない、と。
そう、言われてみれば、小生にも神社をめぐる不思議体験談はある。
小生の自宅ビルは昭和57年に買収した際の融資は、当時の
伊豆信用金庫熱海市店(現三島信用金庫)から受けた。そして保証人は誰あろう、
雨宮高彦氏だったのである。雨宮氏とは当時、ある人物を応援する
”ワンツースリーコンビ”として知る人ぞ知る兄弟同様の間柄だった。ただ、
知り合いも金銭関係は別である。どこの馬の骨とも分からない35歳の男に、
30数年前何故、5500万円もの借金の連帯保証人となってくれたのか。
雨宮高彦氏がハンを押していなければ、今の小生は存在していないし、
雨宮家や神社と関わりもなかったはずである。
神の導きだったとすれば出来過ぎだが、神社に関連する不思議な現象は多い。
昭和60年1月16日未明に発生した自宅ビルの火災もその一つ。
雨宮高彦氏から呉々も裏鬼門に水回りを持ってくるな。と、忠告を受けていた。が、
好事魔多しである、忠告を忘れて自宅ビルの裏鬼門にトイレを新設。即、結果が出る。
5階客室から出火し九死に一生を得ている。その他、ブログでも紹介してきたが、
自宅ビルの壁面に張ってあった化粧タイルが、普段は往来の激しい歩道に落下したが、
奇跡的に怪我人が一人も出なかったという、不思議な現象も体現してきた。
雨宮家、強いては、来宮神社にまつわる神話を信ずる小生には、岡本氏や
雨宮氏の通夜の席での因縁話はよく理解できた。そんなこんな今後も、
宮司さんの面影を心に刻み、来宮神社総代の役割を担いながら恩返しをしたい。