今日は、「起雲閣」と小生にまつわる偶然にしては
出来すぎな縁について考えてみたい。その昔、起雲閣の本社(金沢・日本閣)が、
経営不振に陥り身売り話が公になった時代があった。
熱海市が買収する数年前のことである、その時代、ある施設関係者から、
高橋弘会長(万葉倶楽部)に起雲閣買収の話が持ち込まれた。
当時小生も会長とともに、金沢市にあった本社を訪問している。その後、
紆余曲折あって結果、熱海市が買収し文化施設として一般公開された。昨年、
山岸伸氏(写真家)の写真集(瞬間の顔vol4)に高橋会長が登場した。
モデルとしてプロデュースできたのは、その縁を感じてのことだった。つい一昨日も、
山岸伸氏(写真家)の写真展(球体間接人形と起雲閣)で取り上げている。
また、昨晩は偶然にしては出来過ぎの、起雲閣を軸とする、
不思議な”引き”を感じさせる出会いがあり、軽い身震いを覚えた。予定通り、
昨日から今日にかけて大阪入りし、心斎橋アメ村のフッッション街や、
道頓堀の賑わい、流行もんをウォッチングをしてきた。今日の昼は、
なじみの辛麺屋、「ゆうさん」で食事の後、再びナンバをぶらつき、
午後4時には、京都駅構内八条口待合室にて、
ストーリデザイン大賞に関する情報交換や
PC、iPad、iPhoneの同期に関する不具合を修正してもらった後、
新幹線の中でブログアップしているのだが、さて、不思議な縁と引きについてだが、
昨夜は大阪の知人、山口多加志氏(マンション賃貸業)のお誘いで、
「京町家cafe高津屋」なる京町屋で夕食することになった。食事の後、
名刺交換して分かったことだが、ここが何と、「起雲閣」離れの
数寄屋造りを設計施工した平田建設の下で建具一式を請け負った、
「高津屋」(こうずや)4代目の中田家だったのである。
「起雲閣」は岩崎や住友別荘と並ぶ「熱海の三大別荘」の一つ。
母屋と離れは大正後期、洋館と庭園は昭和初期に造られ、前期の通り、
熱海市が買収する前は旅館として志賀直哉や太宰治らの文化人が投宿するなど、
賑わいを見せていた。また、施設内には全国から集められた
銘石と由諸ある燈篭などが、庭園に置かれている。確かに、現在では
入手困難な材料で造られた、京風数寄屋造りの離れ屋がある。
中田さんから聞いたばかりで、確認はしていないのだが、
起雲閣には築造に携わった関係者の名前(平田建設や中田家の屋号)が
列記されているようで、観光施設として一般公開されて後、改めて、
数寄屋造りに名を残す中田家の親族として、起雲閣には毎年、
引き寄せられていますと、親娘さん等は顔をほころばせた。(つづく)