「日本ジャンボー」の
50周年記念パーティで、
目を引いたのは、
創業時にお世話になぅた方々に対する、
感謝状と記念品の送呈だった。
依然この欄でご案内した、
昭和33年「日本ジャンボー株式会社」の前身、
”アルプス写真”の創業時に、
店舗を貸した、
伊豆山の「伊勢井三郎」さんを筆頭に、
アルプス写真創業時のパートナーのご子息、
「三輪由紀雄」氏、
昭和35年「日本ジャンボー株式会社」設立時、
専務取締役として、
また共同出資者として名を連ねた、
「前澤明」さんのご子息前沢明弘氏。
前沢明弘氏の名前は、
高橋会長と父君の名を一字ずつ取って命名されたと、
感謝状を読み上げた。
その他、
東京三菱UFJ銀行「山舗昭人」氏は、
沼津支店在勤中に、
「日本ジャンボー」を担当、
会長のモットーである、
”商談5分間”の願いを十分理解して、
日本ジャンボーの発展の基礎を作ったとして、
その功績に対して感謝状を受けた。
来賓の祝辞は、
元衆議院議員「杉山憲夫」氏が、
衆議院議員初当選後間もなくしてからの、
お付き合いと前置きし、
高橋会長より、
5歳程年上のいわば同世代であり、
考えることや
行動もよく理解できる。
政治家としての活動と
事業家としていくつか手がけており、
共感がもてるというだけでなく、
その考え方行動において
大変似たものを感じ、
より親しみを持っています。
一緒にゴルフに行くと、
高橋会長はいつも、
ティグランドで待っている間に、
周囲に落ちているティやゴミを拾い集めて処理している。
また、
一寸目を離すと打球のところにいないので、
どうしたのかなと思っていると、
デボットを直していたり、
草取りをしている。
全く
いつ見ても片時の休んでいることのない人なのである。
高橋会長はよく、
不況というのは有難い。
これがなかったら、
安穏として弱くなる。
竹で言えば
節を作ってくれるようなものである。
また、
企業としていかに難しい仕事を
(やさしく低価格でやるか(が大事だ)と、
言っています。
私も
事業は常に景気の波に洗われますが、
良い時は奢らず、
悪いときは挫けず、
常に先を読むことを信念としてやってきましたが、
高橋会長の言うことは、
実体験に基づくものだけに、
私の腹の奥底にまで響くものがあり、
とても勉強になります。と、持ち上げた。
(徳間ジャパンの歌手高瀬一郎さんと杉山氏)
熱海市議会からも、
大勢の議員さんたちがお祝いに駆けつけ、
高橋会長との
記念写真に納まる。
お客様の中には、
高橋会長ごひいきの”そば屋”、
国道135号線伊豆山大黒崎にある、
10割そばの「加賀」の、
小川ご夫妻も顔を見せていた。
(つづく)
現在高瀬さんは徳間ジャパンです、デビューはコロムビアでした
ありがとうございます。
早速訂正させて頂きました。