今日午後2時から、
「来宮神社」に於いて、
五穀豊穣を祈願する、
”としごい祭”の神事が行われた。
今年の神社の夏祭り(こがし祭り)当番町は、
「本町町内会」とあって、
若林祭典委員長始め役員一同や、
神社の奉賛会員、厄年奉仕会員のほか、
4月の地方統一選挙を控え、
田島県議を筆頭に、
加藤則、大山、岡、橋本の各市議も出席し、
存在感をアピールしていた。
さて、昨日の続きだが、
全国に2,800人が登録しているという、
芸妓さんの中で、
”日本最高齢芸妓”として、
ギネスものの、
「熱海芸妓置屋連合組合」所属の、
”小金姐さん”は、
本名「鏑木賀代」さんといい、
明治42年の生まれ。
西暦で言えば「1908年」で。
女性映画評論家として、
独特の語り口で人気のあった、
”小森のオバちゃま”こと、
小森和子さん(2005年没)や、
作家「太宰治」(1946年没)さんや、
松本清張さんと同年代である。
その小金姐さん、
毎週火曜日、
「起雲閣」において、
置屋「いちやま」のお母さん、
中村和子さんと、
三味線や小唄の稽古を続けているということで、
先日お邪魔をさせて頂いた。
”いちやま”のお母さんから、
予め小生が訪問することを知らせていたようで、
ー失礼しますーと襖を開ける、
正座をしながら三味線を抱え、
満面笑みをたたえ、
「どうも、こんにちは」と、
迎えてくれた。
とても”100年”(白寿)に近いとは、
信じられないほど、
肉体的にも内面的にも、
年代を感じさせない”奥の深さ”とでも形容したくなる、
オーラが漂っていた。
先日”小金姐さん”を特集した、
東京新聞(2月12日号)を片手に聞けば、
”芸歴”は長く、
小学校入学前から、
山梨県甲府市で義姉の芸者置屋で、
鳴り物(三味線・太鼓)や踊りの芸道に入り、
半玉としての初座敷は、
小学校卒業と同時だったという。
その後、
東京・赤坂等で芸妓として活躍、
熱海市に来たのは、
昭和33年だったと遠くを懐かしむ。
当時は1,000人を超す芸者さんが、
浴衣姿の観光客と共に、
カラン・コロンと下駄履きの音を引きずりながら、
糸川沿いに活気を振りまき、
熱海温泉大盛況の担い手として、
旅館・ホテルの座敷に重用された時代でもあった。
小金姐さんは、
新聞に掲載された通り、
お客様を楽しませ喜ばせたい。
だから稽古が欠かせない、と、
三味線の胴をくるりと回す。
熱海市の芸妓文化として定着した、
「熱海をどり」に、
17年間”地方”として支えてきた、
小金姐さんだが、
9月には「伊豆市」の旅館で
”白寿”記念行事が計画されているというが、
日本最古齢”現役芸妓”の、
「小金姐さん」は、
熱海温泉の芸妓文化継承の”宝”でもあり、
熱海市が芸妓文化功労者として、
何らかの形で取り上げていただくよう、
3月定例会で
当局の見解を質す予定である。
それにしても”元気”である。
よく、
指先を使うと”ボケ”ないというが、
京都の92歳の”芸妓さん”然り、
”地方”として、
三味線を操る指先と、
研ぎ澄まされた”聴覚”によって、
その説を裏付けているような気がする。
いつも市民のために代弁していただきまして有難うございます。この度は小金姐さんのためにご助力いただきまして感謝いたします。私の周りには熱海市の為コツコツと報われぬのに好きでしている友達が多いのです、いつか陽の当たる場所えと思っています。あたみ桜を何年もかかり市の内外にリサーチしてる人もいます。今回又、東京新聞の水野さんが取り上げてくださり紙面に掲載していただけるとの事で、私のお節介はまだまだ続きそうです。先生有難うございました。
ご活躍とご健勝をお祈りいたします。 かしく
ど~も。
お母さんのブログで、
小生の”愛鳥”る~の
写真を掲載して戴きまして有難うございました。
今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。