コーカサスの赤い風”1993”(2)

今週は、月曜日に
ナイタイの円山社主、ニコライ、ヘミング氏等と、
飲んで以来、3日間断酒した。
来週月曜日からの「大阪」出張では、
名だたる酒豪が相手とあって、
3日間”休肝日”とし、
葬儀の席でも一切アルコールは口にしなかった。
昨夜も飲むまいと事務所で、
ブログを打ち込んでいたら、
遠藤夫妻から電話が入った。
遠藤夫人がニュージーランドに嫁いだ、
娘さんの所で、
約一ヶ月余り日本を留守にしていたのだが、
帰国して久しぶりの”熱海”の別荘に帰り、
咲見町の「武とみ」で夕食するので、
一緒にどうか、というお誘いだった。
”武とみ”はカウンターも、
座敷も満席の盛況だった。
ニュージーランド土産の”ワイン”と、
芋焼酎を潤滑油に、
”娘と孫”の土産話や、
遠藤氏が開発し小生も導入した、
”監視システム”の普及先と、
データー分析による
”商品”陳列位置移設による
売り上げアップに繋がる分析方法など、
久しぶりとあって、
話題は尽きなかったが、
ご夫妻、
明日は「サザンクロスカントリー」でゴルフと言うことで、
フィニッシュに、
「ラーメンハウス Ya~Ya~屋」にて、
醤油ラーメンと餃子で今夜は締めくくると、
小生の店に。
店には、
今月「ほのか杯チャリティーゴルフ」で優勝した、
記念トロフィーが、
送られてきたいたので、
早速、記念写真と相成った。
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☆☆☆☆☆☆☆☆
チェチェン・イングーシ自治共和国、
”ヤナイ・マモダエフ”次期首相候補が、
元ソウルオリンピック”ボクシング”ヘビー級入賞者で、
元全ソチャンピオン、
”シビエフ・ラムザン”に案内され、
熱海を訪れたのは、今年の春のことで、
九州宮崎付近からスタートした、
桜前線は、
いつもの年より足早に、伊豆半島を吹き抜け、
そのあと、
菜種梅雨が居座り続けていたころだから、
3月下旬の午後と記憶している。
   (1993年旧つるやホテルにて、ラムザン、マモダエフ氏)
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シビエフ・ラムザン(34)は、
旧ソ連、ヘビー級のチャンプだった。
身長182センチとこのクラスではやや小柄ながら、
ガッシリと鍛え抜かれた筋肉は厚く、
打たれ強そうな猪首、
分厚く太い腕から繰り出されるパンチは、
シャープで重い。
日本でのヘビー級のデビュー戦は、
後楽園ホール。
ラムザンは、
顔の中央にデンと構えた鼻筋に、
威圧感ある口髭とは対照的な、
格闘家には不向きに思える、
温和な瞳が印象的な男だった。
旧ソ連のボクサーを、
日本プロボクシング協会所属の、
協栄ジム研修生として召致したのは、
新日本プロレス代表の、
”アントニオ・猪木”だった。
日ソスポーツ交流を掲げ、
その第一歩に”ボクシング”を選択した。
仮に日本でボクサーとしてコケても、
ヘビー級クラスの選手であれば、
その話題性から”新日本プロレス”へ
レスラーとして鞍替えも可能であり、
如何様にもつぶしがきく。
1990年2月1日、
日本のマットにソ連人ボクサーが誕生した。
ヘビー級、
ラムザン、スラフ・ヤコブレフ、ルスラン・タラモ、
Jウエルター級、
スラフ・ヤノスキー、
ライト級、
グッシー・ナザロフ、
フライ級、
チャコフ・ユーリーの6人だった。
猪木と金平はプロモーターとしての
力量はずば抜けており、
世界チャンピオン空白に喘ぐ、
日本ボクシング界に旧ソ連からのボクサーを輸入、
プロライセンスを取得させ、
世界に挑戦させることに
活路を見出したとしても不思議はない。
旧ソ連のボクシング界にプロは存在しない。
アマとプロの壁、民族間の風俗の違い、
宗教、言葉の垣根等など、
来日3年間で克服しなければならない、
ストレスは屈強なボクサーと言えど大きく深い。
この3年間で、
世界チャンプを奪取したのは、
フライ級の”チャコフ・ユーリー”だけで、
”グッシー・ナザロフ”を除く、
4人のボクサーは様々な要因が重なって、
残念ながら可能性を没収された。
それにしても、金平会長は強運だ。
俳優”ミッキーローク”がボクサーとして、
日本のリングに登場した、
前座試合が、
「WBC世界フライ級」タイトルマッチだった。
この試合でチャンピオンに輝いたのが、
”ユーリー”で、
金平会長は、僅か六分の一の確立で、
世界をモノにしてしまった。
ラムザンも限界組の一人だったが、
何故か”猪木”は、
新日本プロレスのマットにマッチメークした。
1992年6月12日、
「東京武道館」で行われた、
異種格闘技”超実力者宣言”がそれだ。
この試合で、
ラムザンは、橋本真也と対戦する幸運を得、
敗れたと言えども、
日本のプロレス界の一片に名を残したのである。
この試合から僅か2ヵ月後の8月、
旧ソ連邦が解体され、
独立国家共同体が新たに発足した。
こうした混乱期の中、
エリツィンロシア大統領は一月、
”価格自由化政策”を打ち出したものの、
価格だけの自由化が先行し、
モスクワの街から食料品が消えた。
こうした政情の中で、
日本からの経済支援の必要性と、
北方四島領土問題解決を視野に、
政治家、商社、ECに現地法人のある日本企業が、
混乱期に乗じて、
”コネ”を探り”利権”という鉱脈を求め、
日本の「冒険者」達が、
夫々”抜け目なく”情報を収集していた。
(つづく)

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