コーカサスの赤いかぜ 序章

今週は憂鬱な空模様が続くようで、
今日も朝から、
桜雨が薄紅色の花びらを
路面に散らしている。
昨夜は名古屋から、
梶間氏(カジマ不動産)が立ち寄り、
中央町の「錦」で、
軽い食事をしながら、
マスターの”小林譲二”氏と、
カウンター越しににぎやかに談笑した。
一段落し、
再び事務所に戻り、
2階のPCデスクに置いてあった、
書類を取りに上ったところ、
梶間氏が一枚の”写真”を手に、
「あっ、宮司さん(来宮神社)と金平さんだ」
協栄ジムの故金平元会長との
出会いについては、
小生のブログ(2005年10月20日号)でも、
ふれているが、
来宮神社の宮司さんとの一枚は、
確か、
8~9年ほど前、”旧つるやホテル”で開いた、
小生の忘年会での一こまだったと記憶している。
故金平会長と小生を結んだのは、
国会タイムズの五味武会長。
それ以前、
故金平会長とアントニオ・猪木氏の接点は、
猪木氏が参議院時代に、
旧ソ連の”ペレストロイカ”政策によって、
プロ解禁となった、
ソ連アマチュアボクシング界と、
いち早くスポーツ交流してからだった。
旧ソ連ボクサーの受け入れ先が、
協栄ジムだった。
この写真を見るたびに、
小生が体験した貴重な思い出が、
走馬灯のように浮かんでくる。
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小生と故金平会長の接点はもう二本あり、
一本は、
熱海後楽園時代の友人、
「小野崎」氏と、
彼のご子息が経営していた、
外国人タレント招聘事務所に出入りしていた、
猪木氏が旧ソ連から招いたボクサーの一人、
1988年「ソウルオリンピック」のメダリスト、
「シビエフ・ラムザン」氏と二本である。
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ラムザンは、
”旧チェチェン・イングーシ共和国”出身で、
1988年、全ソヘビー級チャンピオン、
1987年、ヨーロッパヘビー級選手権2位というのが、
アマチュア時代の主な戦績だった。
”日ソ”スポーツ交流から、
民間レベルでの外交が期待された、
旧ソ連ボクサーが揃ってデビューしたのは、
1990年2月1日だった。
ヘビー級、
スラフ・ヤコブレフ、
”シビエフ・ラムザン”、ルスラン・タラモ、
Jウエルター級、
スラフ・ヤノスキー、
ライト級、
グッシー・ナザロフ、
フライ級、
チャコフ・ユーリーの6人が、
全員KOで初戦を飾った。
この時代、
マイクタイソンが無敵を誇り、
スルベスター・スタローン主演の
”ロッキー4”では、
ドルフ・ラングレン演ずる、
ソ連人ボクサーとの死闘を描いた映画が
大当たりした余韻が残っており、
当然ボクシングファンの興味は、
旧ソ連からのボクサーに集まっていた。
この6人の中から、
ユーリーとグッシーナザロフの
二人の世界チャンピオンが誕生したのは記憶に新しい。
さて、
ラムザンだが、
1991年、
新日本プロレス(当時)の、
故橋本真也選手と、
「超実力派宣言」と称した、
異種格闘技戦のリングに上り対戦した。
結果は、
故橋本選手が勝利したが、
今思えばこの勝負、
旧ソ連崩壊が囁かれ、
祖国の事情で日本を後にする、
”ラムザン”への、
餞別試合だったとの思いが強かった。
この試合の詳細は、
1991年の「週間ゴング」に掲載されている。
この試合が終わり、
帰国する前に、
ラムザンは友人たちと熱海を訪れ、
MOA美術館、姫の沢公園、
熱海城などを見て周り、
「旧つるやホテル」に宿泊した。
そして翌年、
チェチェン・イングーシ共和国の、
政府関係者が日本を訪れ、
熱海に立ち寄り、
小生が、
まだ日本人が訪問したことの少ない、
”チェチェン・イングーシ”共和国を
訪問することになろうとは、
想像すら出来なかった。
この時、1992年、
内戦の始まる少し前の話である。
(つづく)

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