熱海駅ビル2階に、
軽食スナック「シャネル」がある。
ママの”エッちゃん”は、
薩摩の小京都と言われる、
鹿児島県川辺郡知覧町の出身。
小生と同じ、「熱海後楽園」を経て昭和63年に、
この場所で独立し現在に至っている。
エッちゃんは、来宮神社奉賛会員の一人で、
年2回のバス旅行はここ10年、欠かさず参加している。
そういった、経緯もあり
雨宮治興来宮神社宮司さんは、
JRを利用した出張の帰りには、必ずといって良いほど、
「シャネル」に立ち寄り、この店に何人かの、
奉賛会員を呼び寄せ、特別な”エネルギー”を放射する。
この日は小生が呼び出された。
先に、佐藤徳子氏(奉賛会員)が招かれていた。
後から、同じく奉賛会員の、
熱海総合食品市場の「堀悦子」さんが、
宮司さんに手製の”キンピラゴボウ”を持参してくるという。
宮司さんは、神社庁に関する出張で、
先月”お伊勢さん参り”で訪れた、賢島「宝松苑」に
宿泊した帰りに、エッちゃんのスナックに寄ったという。
小生がドアを開けたときには、
佐藤ノリピーさん共々かなりご機嫌だった。
ご機嫌だったついでに、大相撲秋場所にふれ、
去る8月25日、あの台風11号で大荒れの夕方、
旧大月ホテルで開催された、
”チビッ子相撲&綱引き大会”の歓迎会で同席した、
十両「闘牙」関が優勝した話で更に盛り上がる。
「ネッ、私たちが絡むと、運気が上昇するのかしら」と、
偶然の一致もいいように解釈して、場を沸かせる。
そこに、堀さんが到着。
早速キンピラをつまむ。
この堀さんも”強運”者の一人。
古い話だが、昭和44年
堀さんの旦那が船で漂流し安否を巡り
世間を騒がせた出来事が新聞に載ったことがある。
その時を振り返り、
どうして強運だったかを聞いてみた。
堀さんは、沼津市静浦の漁師の娘。
当時は”活きをどこよりも安く”をモットーの、
「堀水産」として旦那は売り出し中で、漁船を持ち
大島方面で、黒鯛、イサキ、さんの字等を獲りに、
沖合いに向った、その年の7月音信不通となった。
遭難したと諦めてかけた12日後、
旦那は無事に救出されたという。
(写真左はこの夜の宮司さん)(写真左はロイヤルの矢野所長で宮司さんとは国学院の同窓生)
「船は真っ直ぐ走らないから」と、堀さん旦那を止めたそうだが、
「バカ、道路は曲がっているけれど、海は真っ直ぐだ」と、
タマタマ虫が知らせたのか、
そう注意を促したその夜の出来事だったそうだ。
食料は、大きなヤカンに冷たくしたお茶と、おにぎり5個と、
鮭5切れだけ。
3切れでは、身を切る、4切れは、死ぬ、
5切れは、”ご縁”に繋がると内助の功があればこそ、
12日間漂流して助かったというから”運”が強い。
そんな話に”華”を咲かせ、
宮司さんは10時過ぎに、上機嫌で
我々を残して神社へ帰っていったあと、
佐藤さん、堀さんと小生は小腹が空いたので、
浜町の”おばんざい「こだま」へと河岸を替えたのでした。