今週から、
熱海市議会12月定例会に上程される、
議案に対する説明が、
当局側と各会派との間で行われている。
小生が所属する、
「熱海会」は明日に予定されている。
忙中閑あり!、
今日は久しぶりに、
のんびりし”芹沢書店”をぶらつき、
書籍を纏め買いする。
週刊誌の中から、
”高須基仁”氏が担当する、
コラムが載った一冊も忘れず購入する。
今週号の「週刊朝日」の中で、
”ニューススピリッツ”、
高須基仁の、
修羅場・土壇場・高須場を、
ゲラの段階から読んでいた。
その内容をここで抜粋すると、
「離れの・・・宿」ほのかの、
川岸洋一会長と長男「強」氏を主題に、
「再チャレンジ親子」というタイトルで、
こう書いている。
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西武ライオンズの松坂大輔投手の、
米メジャーリーグ移籍が、
スポーツ紙を賑わせていた、
11月6日、
フルキャストスタジアム宮城(仙台市)で、
「12球団合同トライアウト」が行われた。
そこに私の古い友人の一人息子、
川岸強投手(27)が参加した。
トヨタ自動車時代はエースとして、
都市対抗野球に出場。
サイドスローの即戦力として、
期待され、
03年に「中日ドラゴンズ」に入団したが、
自由契約、
つまりクビになったのだ。
ところが、
川岸は12日にも仙台に呼ばれた。
待っていたのは、
楽天イーグルスの野村克也監督。
日米野球の指揮を執るために、
トライアウトを
視察できなかった監督が、
「直接見てみたい」といって、
改めてテストしたのだ。
結果、
右の中継ぎ候補として、
入団が決まった。
トライアウトの前夜、
川岸の父は、
息子の一大事を見届けるため、
東北新幹線に乗った。
その直前、
浅草の私の会社に立ち寄った。
なじみの店でウナギを食した後、
浅草寺に向かい、
昭和の下町作家・久保田万太郎の、
御影石に刻まれた、
旬碑の前に立った。
<竹馬や、いろはにほへとちりじりに>
晩年の久保田万太郎は、
幼友達がそれぞれに、
「いろはかるた」のように、
散らばって生きている姿に触れ、
下町の人間のしたたかさを礼賛した。
それを見て、
川岸の父はつぶやいた。
「再チャレンジってやつは、それぞれだな・・」
この「竹馬の友」は熱海で、
老舗の高級旅館を経営していたが、
不振にあえいでいた。
「老舗に胡坐をかいていたんだな」
彼はセレブな旅館業に見切りをつけ、
思い切って、
「ピンクコンパニオン」と、
飲んで食って遊べる旅館に鞍替えした。
この結果、
旅館は熱海温泉で
一、二を争う
売り上げを誇るようになった。
「いろいろと旅館はあるけど、それぞれだ」
彼は万太郎の碑の前で、
私に語りかけた。
安倍首相は、
再チャレンジを掲げ、
弱者や敗者が復活戦に望むことを、
支援すると公約している。
が、実際には、
「プライド」をあえて捨てる男は少ない。
その点、
川岸親子は「ピンク旅館」と呼ばれても、
「自由契約選手」と、
脱落者呼ばわりされても、
それぞれに一度立てた旗を、
降ろすことなどなく、
己の道をひた走っているのだ。
川岸は再チャレンジに成功した夜、
ボロボロになるまで
現役を続けた”野村克也”について、
敬意を込めてこう語ってくれた。
「あのひたすら精一杯な有様がすきなんだ」
この日、
高須氏とマスコミ各社で構成される、
モッツマスコミ会の、
忘年会を、
熱海市の「サンミ倶楽部」で開催することが決定、
花火大会ということだったが、
最上階のクラブを貸切り、
懇親会を兼ね、
高須版、
熱海路地裏再生計画(熱海カルチェラタン2007)の、
構想実現の可能性について、
マスコミ各社のご意見も、
頂戴できる絶好の催し物とするように、
詳細について話し合った。
熱海サンミ倶楽部に予約確認を済ませ、
このあと、
別口の招待を、
銀座8丁目で受け、
飲まずに帰宅したのでした。