定山渓に集合した、
釧路湖陵高校第17期生の、
”還暦を祝う会”の続報だが、
昭和21年4月から翌年3月までに生まれた、
”戦後っ子”は、
前年度生まれより各段に増え、
小生が経てきた、
釧路の炭鉱町の小・中学校、
及び、
進学校として名門の、
「釧路湖陵高校」入学時も、
9クラス(1クラス50人平均)に、
振り分けるほどの、
新入生をのみ込んでいた。
「釧路湖陵高校」同期性には、
当時、
昭和30年6月から
同人誌『北海文学』に連載され
戦後最大のベストセラーとして、
釧路の社会文化に多大な影響力を与えた、
「挽歌」の作家、
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「原田康子」さんの
実弟も在籍していた。
「挽歌」をざっと紹介すると、
昭和30年6月から31年7月までの10回、
同人誌”北海文学”に掲載され、
31年暮の初版から、
僅か一年のうちに70万部という、
戦後の小説界では最大の売行きを記録、
釧路の社会経済、文化観光に貢献、
森雅之、久我美子主演で、
松竹で映画化され、
瞬く間に爆発的ヒットととなり、
「霧の街挽歌」「挽歌の街釧路」が、
全国に印象づけ、
釧路市の戦後復興に多大な貢献をした作品である。
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そのほか”同期生”には、
行政、港湾、漁業、
石炭、製紙、医療、観光等、
釧路市の産業を動かしていた、
企業家のご子息も多く在学していた。
小生が卒業まで在籍したクラス(G組)からは、
12人(男性4人、女性8人)の参加を含め、
式次第名簿には、
91人もの仲間が列記されていた。
毎年参加する”釧路市”での、
同窓会の段取りは全て、
伊木茂樹氏(釧路石炭社長)に、
任せてきたため、
当初予測していたのは、
“30人程度規模の参加者と思い込んでおり、
衆議院第一会館で、
鈴木宗男衆議院議員と、
お会いした際に、
”還暦を祝う会”の人数を、
アバウトで約2~30人程度と説明していた。
”新党大地”を結成して、
昨年復活当選する前の選挙区は、
釧路市を中心とするエリアで、
小生の同期生で、
綿貫健輔前釧路市長とは、
阿吽の呼吸で連携する関係と推測でき、
現在も政党代表として、
釧路市も含む全道を地盤としている。
ーそうかね、綿貫君も来るのかねーと、
代議士は議員会館の電話を取るなり、
”還暦の祝い”に挨拶に行くように支持した。
館内放送で、
記念撮影する案内があり、
大広間に集合すると、
―綿貫君はいるかねーと、
聴いた声が響いた。
何と、
宮野第一秘書ではなく、
代議士本人が姿を現したのである。
呆気にとられる
「綿貫」前釧路市長を始めとする、
参加者全員が、
―なぜ、ここに顔を見せたのかーという
驚きの表情が大広間を包んだ。
小生は余計なことだったのかもしれないが、
「綿貫」氏に
壇上から降りていただき、
代議士とガッチリ握手する場面をつくり、
お2人の仲を参加者に見せ付けることで、
次回にも、
前市長再チャレンジを予見させる
演出をさせて頂いた。
もの凄い行動力は、
参加者全員に感動と余韻を与えたまま、
会場から立ち去ったのである。
小生は何とも“ツイてる”男である。
参加者全員に“還暦祝い”への、
強烈なインパクトを
プレゼントできたのである。