では、
小生が知り得る限りの
業捨創始者である、
谷原弘倫氏について振り返ってみたい。
当初小生は、
年齢的にも若かったこともあり、
治療受けたのものの、
その効果を疑問視していた。
谷原氏が生み出した業捨は、
患者(希望者)の身体に下着をつけ、
そこに、
指先(爪)で擦り付けると、
その回数に従って、
患部からは
血とは違う赤黒く変色した
筋状が色が浮かび、
その治療の痛さは、
人様によっては様々だがのようだが、
小生にとっては、
最後まで、
苦痛が伴った治療だった。
そして、
昭和60年代後半には、
松田オーナーと谷原氏の要望により、
一定期間、
小生が、
自宅ビルで経営していた、
ビジネスホテルの一室に
約一年間滞在し、
業捨治療希望者を受けていた。
当時は、
業捨に対する噂が噂を呼び、
心身ともに悩める(?)
富裕層を中心に評判を集め、
その後も、
村山ビルから
熱海駅近くのマンションに移動した後、
首都圏からの
希望者が急増したことから、
谷原業捨は
新宿区内に活動拠点を移し、
複数年
治療に努めてきたが、
年齢を重ねたこともあり、
出身地である、
広島県呉に戻ったのである。
小生は、
谷原業捨氏が都内に移ったあと、
また、この頃には、
業捨の効果効能について、
自覚していたこともあり、
松田さん(正ちゃんパチンコ)と共に、
数ヶ月に一度ではあるが、
我が身に、
定期的ではあるが、
業捨の痛みを刻み込んで、
浮世の荒波を
乗り越えていたのである。
つまり、
信ずるものは救われる。である。
この甲斐あってか、
また、
小生の楽天的な思考もあってか
今日まで、
心身ともに元気であると、
信じている。
ただ、
谷原業捨が広島に戻ってからも、
何度か
業捨を受けたのだが、
あれから5年経過しているが、
現在では、
交信不通のままである。