小生が直接間接的に関ってきた、
恩人知人の訃報がここ数日、相次いでいる。先ず、
前田久光氏(熱海玉の湯ホテル相談役)だが、実は前田氏、
昭和53年9月、小生が熱海市議会補欠選挙に立候補した祭の、
後援会長をひきうけて頂いた方である。この時は、
応援の甲斐なく敗退したのだが、その後雌伏20数年後、
平成11年4月の初当選の祭には、
とある支持者と供にホテルに挨拶に伺い喜んで頂いたが、その後、
入退院を繰り返していたことから疎遠となっていたが、
今朝の地元紙を見て訃報を知ることが出来た。前田氏、昭和41年に、
管財人代行として、日本で始めてとなる会社更生法による
ホテルの建て直しを実践した人物としても広く知られており、
体調が万全であれば、今日の基幹産業が抱える、
ホテル、旅館等の再生問題の
コンサル的な存在として期待できたのだが、冥福を祈る。さて、訃報は、
小生の自宅ビル内で直営する、飲食店スタッフ係累にも及び、いずれの方も、
熱海温泉を支えてきた飲食業関係の方で、その死が悼まれる。
一人は、今夜が御通夜となったのが、
ラーメンハウスでバイトをして頂いている女性の母親で、死因は、
スキルス性胃ガンと診断され、入院して2週間ほどで他界した。もう一方は、
居酒屋「ぽん太」の経営者東原光明氏で、以前から肺と、
高血圧に悩んでおり、月一の割で通院していた矢先の突然死で、
ムラヤマビル2階のフィリピンパブで働く奥さんが帰宅して発見し、
昨日、葬儀を済ませたばかりだった。故東原氏は、
熱海に居住する前には、カメラマンとして活躍しており、
小生の恩人の故蕪木研爾氏とも面識があり、そんな関係もあって、
以前から面識はあり、未だ64歳という訃報が残念である。さて、
訃報の次は熱海再生への起爆剤となるか、ぼちぼち、
次期熱海市長選への立候補に向けての動きが出始めたようだ。
昨夜、木下恵司氏(伊豆山をおもしろくする会、海山代表)から、
田嶋県会議員が駅前で街頭活動を始めた。と、その目的について
あくまで私見だがと、前置きして、
ー来年9月の市長選を意識しての始動だ。と、分析する。そうだ、
市長選ばかりではなく、再来年4月には統一地方選が始まり、我々、
市議会議員にとっても、大事な市長選となるのである。なるほど、
昨日すれ違った、民主党の街宣車には、
橋本議員をふくむ3人の議員さん達が乗り込み、
街宣活動への意気込みがビンビン感じられ、既に、
選挙モードに突入しているような、妙な錯覚と緊張感が交差した。