議員にとって、新年の挨拶回りは、
慣例の一環である。
小生の、熱海後楽園入社の同期生で、
また、妻「京子」の幼稚園からの幼馴染に、
「加藤九三男」という、親友がいた。
いたというのは、加藤氏は3年前に病魔に侵され、
56歳という若さで没しているからである。
ひょうきんで、頭の回転が早く、
親を大切にし、友達思いのいい奴で、
彼の弟も10年近く、小生の仕事をヘルプしていた関係で、
加藤家とは家族同様のお付き合いをさせていただいてきた。
小生のブログに時折登場する、鈴木三郎氏(ABCホーム)とも、
縁戚関係にある。
昨年は、妻の母が喪中につき欠礼したが、
今年は早くに訪ねたところ、
母、加藤正子さんを始め、鶴枝、満里子姉妹が
顔を揃えており、
正子母さんの友人もお屠蘇を気分で歓迎していただいた。
(故加藤九三男氏と正子母さん)
聞けば、正子母さん、今年85歳というものの、
ごらんの通り、元気そのもので、
「若いね~」と持ち上げると、
ご覧の通り、「そうかね」と、呵呵大笑してビールをグビリ。
(鶴枝姉さんと満里子さん、加藤家の隣人、武田バアさん)
(坂田市太郎親父)
加藤家のゴク近くに、
小生の親父(妻の)の住まいがある。
名前は「坂田市太郎」といい、
正子母さんより、確か4歳上の90歳。
建築板金を生業として、
「竹中工務店」の下請けなど、その関連各社の取引を続け、
現在は長男の「敏行」、その息子の「一也」が継承している。
小生も「熱海後楽園」を退社したあと、
「坂田板金」を手伝ったのだが、
図画工作や加工する能力がなく、
”不器用”モロだしで、結局職人の適正に欠け、
紆余曲折を経て現在に至っているのだが、
”親父”から教えられた、
「正直は一生の宝」を座右の銘に人脈を築いてきた。
小生に二人の弟がおり、
その一人は、小生が「北海道釧路」から、
熱海に、というよりは、「坂田板金」の職人となるように、
期待を込め、連れて来た、
「佐藤明」がいる。
現在は、休職中だが、坂田家には今でも、
家族同様の付き合いをしており、
小生同様、親父さん”と、慕っている。
さて、加藤家と小生の家族の絆、
似て非なる別家族だが、
親と子の絆は不変だということを、
新年の挨拶回りで改めて感じさせられた。
その夕方に、小生の孫「歌奏」が、
家を訪れ、
歩行器ではしゃぐ姿を見ているうちに、
好々爺に近づいてきた現実を喜んでいいのか、
複雑な思いが錯綜したのである。