髙橋会長の自伝”わが人生”
(神奈川新聞連載)
・・・その(35)・・・
ー旅館の撮影サービスを
請け負う業者はほかにもいましたが、
写真をお客様に渡すのは
翌日のチェックアウト時という
業者がほとんどでした。
前夜に撮った写真を
朝食のお膳の上にそえられるというので、
私に撮影を依頼する旅館が
口コミで増えていきました。
そこで高橋弘個人ではなく
「伊豆山写真」と名乗り、
日中は酒販店、夕方からは
写真業と二足のわらじを
履くようになりました。
高度成長を背景に、
熱海の観光客は増加の一途でした。
後の61年には年間観光客が
日本一になったほどです。
企業の招待旅行も盛んで、
例えば菓子問屋が、
得意先の小売店主等を
100人も200人もつれてきました。
私は300人の団体を
撮影したこともありました。
宴会場の舞台に並び切らず、
旅館の屋上に上がってもらいました。
屋上なので
フラッシュをたきますが、
当時は
マグネシュウムの粉に
ボット火をつけます。
(つづく)