髙橋弘会長(万葉倶楽部)の自伝、
(神奈川新聞転載)
・・・わが人生・・その27
ー当時静岡県は学区制が厳密で、
熱海市居住の場合
普通科なら熱海高校、
工業科なら沼津工業高校と
決まっていました。
私は店を継ぐことを考え、
商業高校に行こうと思いました。
それが
県立三島南高校
(同県三島市」の商業科で、
1951年に入学しました。
同校の前進は
「さんしょう」と呼ばれた
三島商業高校です。
49年に校名を改称すると同時に、
普通科と商業科を併設しました。
同校の記録によると、
私の入学した51年は定員が1050人。
普通科450人、商業科600人で
計21学級でした。同校では
私の入学年から週5日制とともに、
単位制が実験的に導入されました。
3年間で90単位以上の取得が
定められていたと記憶しています。
3分の1の33単位が必須科目で、
3分の2は選択科目でした。
(つづく)