高橋弘会長(万葉倶楽部)自伝、
”わが人生”(神奈川新聞連載)
・・・ その21 ・・・
後年写真のDPE事業の
会社を起こす私が、
初めて
自分のカメラを入手したのは、
熱海市立熱海中学校に
通っていた頃、
親にねだり、
ボックスカメラを
買ってもらったのです。
ボックスカメラは、
箱形の簡単な構造です。
使うフィルムは「ブローニー」で、
35ミリフィルムより
サイズが大きいので、
引き延ばさないで
ベタ焼きにしても見える
写真になります。
中学生の修学旅行で、
担任お先生が嬉しそうに
「フィルムが一本手に入ったから」と、
日光東照宮の陽明門で
クラス写真を撮ってくれました。
それほど
フィルムが貴重な時代でした。
何故カメラが欲しかったのか。
鉄道など撮影したいものが
あったわけではありません。
近代的な機械の一つとして
興味を持ったのだと思います。
私は新しい機械ものが大好きで、
現在も
タブレット型コンピューターなどを
活用しています。
その意味では
カメラでなくても
良かったのかもしれません。
でもこの時、
カメラを買ってもらったことが、
高校時代の写真部入部、
そして後年の
起業へとつながっていくのです。
中学時代にはもう一つ
忘れられない思い出があります。
1950年、
3年生のときの体育祭です。
全校生徒が
赤組と白組に分かれて
勝敗を競うのですが、
これに際し、
両組の応援団が結成されます。
私のクラスは赤組でした。
(つづく)