髙橋弘会長(万葉倶楽部)の原風景とは。(神奈川新聞連載、”わが人生”より)

神奈川新聞に連載された、
髙橋弘会長(万葉倶楽部)の自伝、

”わが人生”の転載です。
ー1942年、

私は静岡県の熱海国民学校
(現熱海市立第一小学校)に
入学しました。

私の最も古い記憶は、
同行の入学式の朝の出来事です。

「学校に行きたくない」と
勇気を奮って口にしたのです。

驚いた父が
「何を言うんだ。行きなさい」と
言っても、

「嫌だ、行かない」の一点張り。

押し問答の末、
私はワーンと泣き出しました。

何としても行きたくない。
その意志を押し通そうと泣いたので、
鮮明に覚えています。

父の言う事を聞かなかったのは、
おそらく生まれて始めてでした。

当時の家庭では、
絶対的存在でした。

学校に行きたくなかった理由は、
大勢の知らない子供と
過ごすことに気後れしたからです。

私は幼稚園が近くになかったので
行ってはおらず、

国民学校が人生初の集団生活でした。

「じゃあ、学校に行くまでこうしていなさい」
父は泣いている私を
自宅裏の倉庫に連れて行き、
柱にぐるぐる巻きと縛り付けました。

一人残され、
どれくらいたったでしょう。

ついに観念した私は、
入学式に行きました。

そしてそのとき
学校に行くと決めてから
一度も休みませんでした。

当時学校は熱海駅近くにあり、
神社から海岸まで
800段以上もの階段が
まっすぐ続いてました。

眼下には伊勢湾が広がり、
細く続く2級国道135号線
下田小田原線(現国道)には、

立ち並ぶ旅館が見渡せました。

私の原風景です。
(つづく)

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

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