今朝は11時から網代の平鶴旅館にて、多賀網代ロータリークラブの
創設25周年記念式典が開催され市内外の関係者と共にお祝いに駆けつけた。
式典は先ず、倉田晃平実行委員長が挨拶に立った。
ー1987年6月にメンバー23人で発足、創立5周年記念行事として
歌人種田山頭火の句碑を、10周年記念には網代の綱引きを詠んだ
山県有朋翁歌碑を15周年には地元多賀を詠んだ与謝野晶子の歌碑の他、
20周年記念には同じく与謝野晶子の作品を上多賀園地に建立したこと等振り返り、
本日の25周年記念事業として徳川幕府時代の下田奉行小笠原長保が
文政7年頃伊豆海岸から江戸にわたる途中、網代で詠んだ歌を句碑にし
熱海市に寄付したことを報告、合わせて5基の記念碑はクラブの記念だけでなく、
地元観光の目玉となることを祈念しますーと報告した。また、
松尾護会長は、ー創立20周年を機にクラブ解散の方向で検討したが
井上雅雄氏(当時のガバナー)から存続を強く懇願されました。
当時のメンバー11人のうち4名が残ってクラブを存続させてから5年が経過し
現在7名の会員で活動しています。地域密着をモットーに事業を展開しています。
「こぎ渉る 網代の海の いづて舟 いつしか旅に 日をぞへにける」と
下田奉行小笠原長保の和歌を披露し、今日を節目として
意を新たに地域発展に寄与したいと結んだ。実は小生もこのクラブに一時所属していた。
かれこれ13年程前になるだろうか、市議に当選する前の話しである。当時、
クラブ事務所があったビルのオーナーから進められメンバーに入れて頂いた。不慣れな
作法に則りロータリアンとしてのマナーを学ばせて頂いたことが昨日のように甦ってきた。
また、松尾会長も挨拶の中で力を込めていたが、云われてみればその通りである。
確かに、網代多賀ロータリークラブは市議会議員の登竜門でもある。
梅原一美市議会議長、稲村千尋議員、小生、現メンバー小森高正議員を送り出している。
メンバーの皆さんとは個人的な繋がりはあるものの、今後はOBとして
5期の記念碑を生かした地域観光振興にお役に立てれば幸いである。