熱海商工会議所会頭、というより、
前回熱海市長選に出馬し、現市長や前市長を相手に健闘し、
創業115年を迎えた、熱海の老舗旅館、
「新かどや」旅館のオーナーと言った方が小生には通りがいい、
鵜沢精一氏から電話が入った。
正月2日の新年会で約束していた、
”秘蔵写真”を蔵出し、コピーしたので渡したい。ということだった。
今日から、故池田満寿夫氏が制作したブロンズ、
「アポロンの水瓶」について、
その製作にまつわるエピソードを掲載する予定で、
その中に直接、間接的に鵜沢氏も登場しており、
実に、タイミングが良すぎる電話だった。
その秘蔵写真とは、
確か、今から14~5年前の11月始め・・・、
故大野英一前熱海商工会議所会頭(ホテル大野屋代表)が、
カナダの「バンフ」にて経営していたホテルに招待を受けた際、
町なかの観光土産店で撮った写真だった。
(左鵜沢氏右小生)
よく見れば、鵜沢氏、
西部劇に登場するアウトロー宜しく憎々しく、
”役者やの~”のポーズを決めており、
小生の”クサイ”表情とは対照的に、
役者の違い、貫禄を見せ付けているショットだった。
この写真撮影を終えて、
ホテルレストランで小生の誕生日を祝って頂いたののだから、
11月3日だったということだけは、記憶している。
故大野氏に招待を受けたのは、
伊豆小型船舶に関係する、熱海の海の男たちで、
市内で家具店経営の「S]氏と、
現在もマリーナにてヨットやクルーザーを管理する「K」氏を合わせた5人だった。
この写真を見ていると、
(後部真中が故大野氏)
誕生日の席では、
美味いワインで上気して顔で、
鵜沢氏を”殿”、故大野氏が「お代官様」と命名し、
将来は、鵜沢氏が市長に、大野氏が商工会議所会頭に、
小生は市議会議員にと、
夢を語り合った当時の状況が鮮明に蘇える。
(写真中央は一昨年「起雲閣」式典での故大野氏)
バンフのホテルで祝って頂いた
誕生日の席で広げた”大風呂敷”だったが、
鵜沢氏の市長実現は叶わないでいるが、
小生と故大野氏に関しては、
予言したとおりの展開となった。
大野氏亡き後の「ホテル大野屋」について、鵜沢氏は、
お二人のご子息が引き継ぎ、
冷凍保冷車を購入して、積極的に市場への仕入れに力を注ぎ、
朝と昼のバイキング料理や素泊まりと、
料金メニューも豊富にして、
インターネットをフル活用して業績は一気に向上しており、
ホテル業からの撤退という、
巷で囁かれていた流言飛語を一笑に付して安心させた。
社長室で小一時間ほど思い出に浸った後、
会話が途切れてきたので、
小生が持参した写真を机の上に並べる。
一枚は、
1996年6月6日、”新かど旅館”にて、
池田満寿夫氏の親友で、
同朋舎出版 より1995年月15日発売した、
「池田満寿夫般若心経陶作写真集」無の写真家、
故蕪木研爾ご夫妻と、
高橋弘会長(万葉倶楽部)、
故蕪木氏の
銀座カブラギスタジオ時代からの親友で、
畑氏ご夫妻(元電通経理部長)を小生が写した、
1996年6月6日の写真と、
(後方左鵜沢氏右高橋会長と蕪木夫妻)
もう一枚は、
熱海ところ記念病院にて闘病中に、
お見舞いに行った際、枕元から離さなかった愛機「ライカ」で撮った、
蕪木氏の遺作となった、
高橋会長と小生を写した写真だった。
ー思い出したよ。懐かしいーと、2枚の写真を交互に見比べ、
2日にも話したが、と前置きし、
ー高橋ジャンボーさんのルーツを探れば、
私んとこより遥かに古くて、
熱海では350年以上の歴史があるという話だがーと、2本目のボトル茶を机に置いた。
時代に隔たりはあるものの、
熱海の海と陸路を制する顔役がお互いの先祖だったようで、
そのルーツについては、
既に4日ゴルフ場にて高橋会長に尋ねたところ、
ーよく知っているねーと顔を崩していたことを伝える。
携帯の振動する回数が増えたので、
再来週にでも”食ろう”という声を背中で受け、
頂戴した、
カナダでの秘蔵写真を抱えて「新かどや」を後にした。
新年会の席では、
江戸末期、
横磯(熱海湾・サンミ別館下)を縄張りに、
艀と沖仲士を大勢抱え財を成した、
回漕問屋「玉屋九七」が、
明治10年頃、旅館業に進出し」
”隠居玉旅館”、”中玉旅館”、”新角玉旅館”を創設し、
今から115年前に、
今の銀座町交差点(駐車場)にて
、
玉屋九七の次男「鵜沢立之助」が
新角玉旅館から”玉”を抜いて、
新かど旅館として新たにスタートしたと聞かされていた。
正月2日、新かどや旅館社長室では、
温故知新、過去は過去、
今要求されるのは、暖簾を自慢することではなく、
こうした歴史を背景に、
熱海商工会議所会頭として、小生は一市議会議員として、
熱海の再生に何が出来るかを、真摯に受け止め、
先ず、噂が先行して、
バラバラな業界関係者の人心を一新する為にも、
集まった親しい者同士で、
酒も入りくどくなるだろうが無礼講で、
業界に飛び交っているという、小生も含めた、
流言飛語について分析する新年会となったのである。
(つづく)