鳥居誠氏は、斎藤熱海市長への表敬訪問を終え、
3泊4日の視察から昨夜、東京に戻った。鳥居氏は現在、パリを中心に活動する
在住28年のビジネスマンである。出身は、東京都港区南麻布。
簡単な経歴をご紹介すると、下記の通り。
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日大農獣医学部を中退した後、昭和47年(1974)2月渡仏し、
フランスリヨン大学外国人講座フランス語A級を終了した。その後、
日商岩井フランス支社に入社。西部デパートフランス支社へとスカウトされ、
以降、現地の映画会社”ODESSA”に入社し、8年間、
チーフプロデューサーとして活躍した。また、レストラン経営にも携わり、
熱海リビエラ化計画の発案者でもある。鳥居氏は、
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2005年9月からイタリアンジェラートDELIZIEFOLLIE代理人として
ライセンス契約でDFjapan設立、その仲立ちとして
東京渋谷に第一店舗をオープンし、2008年契約解除とともに
日本帰国した。その際に、BBメディア本社にて奥様ともお会いしている。
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お会いすることになったキッカケは、パリからのネットサーフィンだった。
熱海をキーワードに、タマタマ小生のブログにたどり着いたのだ。
そこから小生との交流が始まった。今から3年前の2008年だったと記憶している。
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オフ会のような格好で、BBメディア本社にてお会いする。ただ、以前から、
黒ニンニクやエキスをフランスに送り、
黒ニンニク加工塩等を試作して、送って貰うなどして連携を深めていた。
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熱海は温泉だけでなく、生ニンニク栽培による地産地消を念頭において、
認定農家と共に取り組んでいること等、メールで情報交換してきた。
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鳥居氏が熱海改造に情熱を燃やすことになったキッカケは、小生と知り合う前、
一時帰国した際に、癒しを兼ねて2週間ほど熱海に滞在したことだった。
地形的条件があまりにも、モナコ公国に似ていただけでなく、
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”熱海リビエラ化計画”に着手したもう一つの要因は、
立地、食材、気候そして、日本有数の温泉を持つ熱海が年々、
衰退していく事への悲しさを仲間たちと共有したからだと、振り返る。
(つづく)
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