・一樹の陰一河の流れも他生の縁、
(知らないものどうしが結びつくのも前世の因縁いよるもの)とでも云うのか、
或は、最近では一般の結びつきにでも使われている、
縁は異なもの味なものとでも、云うのか、ここ数回にわたって連載している
山口藤子さんと小生を結ぶ縁が、その土地が持つ
不思議な磁力に引き寄せられているのを、ビンビン、感じている。
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・大正末期から昭和初期に始まり現代に続く、熱海温泉歴史の語り部でもある、
山口藤子さんとの共通点は多い。ただ単に、
住居(咲見町同番地)や亡夫(一人会派市議会議員故山口包夫氏)の志だけでなく、
藤子さんの実家(小生の自宅ビル)が、
熱海で初のラーメン屋だったことと、小生もまた同じ場所にて
ラーメン屋を経営する、ラーメン屋繋がり。と云うことと、もう一点、
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数遊びでも、拡大解釈するつもりもないが、屋号に関しても共通点がある。
・千疋屋に対してや〜や〜屋。つまり、1000と888となり、
偶然で片付けていいのか、という、不思議な接点がある。また、
藤子さんには初当選以来、応援して頂いているが、最近では、
そうした縁とは無関係ではない気がしている。ただ、
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弘法大師空海との縁糸に関しては未だ精査していない。しかし、
これまで全く無関係、赤の他人だった人と人が、土地の持つ磁力に手繰り寄せられ、
縁糸で結ばれ、昔の物事から新しい知識や見解を得ることが出来るのは、
熱海再生を願う一人としては喜ばしいことである。さて。今日登場するのが、
・
文豪志賀直哉が贔屓にしていたと云う、藤中靴店さん。これまで連載してきた、
山口藤子さんの講演内容を話すと、膝を乗り出し喜びを露にして、
文豪志賀直哉さんとのエピソードも聞かせてくれた。その話しをする前に、
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山口藤子さんの「大正末期から昭和初期の咲見町界隈」(3)をお届けする。
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—町内の人たちが、お宅のラーメン縮れててとてもおいしいーと、
云われるたびに、父と母は、特に病弱の母は
ーお前の手伝いのお陰だよーと感謝され、嬉しくて涙したものである。
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暇を見つけては本を読み、昔の綴り方少女と言われたくらい、よく書いた。
・・父は商人の心得を教えてくれた。
・“立つより返事”“いらっしゃい”を先に。
・ありがとうございます。を、ハッキリ。
・商人は速く身を動かすこと。
・一知って十を知れ!
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色々教わった私は年齢の割合から、あたみ言葉で“は
しっこかった”のでなかろうかと自負している。昭和5年田方地震があった。
受け持ちの山本先生が職員住宅建物の下敷きになって亡くなり、
悲しくて学校で旧友たちと大声で泣いた。私の家の裏の石垣が崩れたが、その最中、
男の子が生まれた。4人目の男子誕生。大騒ぎであった。
その弟も妹二人も今はない。時の流れを感じる。
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藤中靴店は皮革の修繕をやっていたので、
珍しくて店先でジッと見ていたが怒られもしなかった。
大きな丈夫そうな前掛けをかけた職人が、靴型の上に靴をおき、
油糸を通し乍ら縫っていたが、相当力を入れていると感じていた。(つづく)