東海日報(昭和58年)の熱海梅園に関する社説。(求人都市にありながら若い世代は他都市へ流出)

さて、今朝は、

熱海梅園に関して
昭和58年に
地元紙として発行していた、
東海日報の
一面に掲載されていた、

熱海市の観光に対する、
同紙の社説をご案内したい。

観光は商品化してこそ、
市も市民も利益を得られる場合を
資源と云えるし、
観光商品と云えるのであり、

旅を商品化することが
産業化であり事業化である。

需要者は暇と金を持って購い、

観光供給者は
風景、風物、泊める、食事、商品、
見せる、食べさせる、売ることによって
利益を満たす観光資源であって、

「梅園の如く見せるだけでは
観光商品でなく勿論資源とは言えない」。

市が公園記念館に
入場料を取る場合は観光資源であり、
この投資こそ
財政投資である。

梅園の如く贈与による資本投下にしろ、
元を
維持管理し充実を図るのは
継続投資が必要であり、

観光に価値を計るのには
資金投下をさせなければならない。
市の財政が
苦しいのなら尚更
資源としての収入を計らねばならない。

熱海市は労働人口が流動的。向上せぬ市民生活

熱海市は農業的にみても
漁業的にみても極めて零細な企業構造で

観光都市構造の
観光産業の中へもなじめない
協調性が図れないところの二重構造。

求人都市にありながら若い世代は他都市へ流出。

あれから早、24年。

熱海梅園をめぐっては、
日韓グルメフェア開催を含めて、
東海日報の”推測”から、
どうのように変化していくのだろうか、、。

 

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

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