髙橋弘会長(万葉倶楽部)の自伝”わが人生”(111)ー日本ジャンボー株式上場への道(2)ー

今日は、
店(ラーメン屋)の常連さんの
リクエストにお答えして

昼飯は
”いみなりステーキ”、
買い物は駅(ラスカ)まで、
車でお供をする。

午後12時少し前から
いきなりスレーキ前で
行列していると、
小田原に本社のある
万葉倶楽部グループの、
M社長とバッタリ出会う。

M社長とは先月も、
熱海市内に開店した
競輪選手の焼肉屋さんで、
お会いしたばかりで、

ー肉つながりで
よくお会いしますねーと、
ジョークを飛ばし、

今日は念願の、
ワイルドステーキ
450グラムに挑戦する。

ライスはパスしたものの、
肉は時間をかけ
味わいながら完食、

お相手の常連さんは
80歳前の年配の女性だが、
大の肉付きとあってか、
サーロイン300グラムを
これまた完食する。

スタミナを次はラスカ5階移動し、
書店で欲しかった本を買い求め、
常連さんの”トキさん”に
日頃のご愛顧にお答えして
帰宅する。

さて今日から3日間は、

高橋弘会長(万葉倶楽部)が
日本ジャンボーの上場時に
直面した”隘路”打開した経緯を、

会長の自伝から転載する。

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ー公開の話しを前に
私に持ちかけてきた投資会社が、

基本政策を作って
持ってきましたが、

引き換えに
株を持たせて欲しいと言われました。

「なるほどこういうことなんだな」。

セミナーでの
忠告を思い出し、
キッパリと断りました。

88年12月、

日本最大級の会計事務所である
監査法人「トーマツ」に
予備調査を依頼し、

翌89年1月に
結果報告を受けました。

トーマツから
「株式公開には監査法人、
証券会社、信託銀行の
三者の協力が不可欠です」と
教えてもらい、

準大手の証券会社に
協力を依頼しました。

こうして
公開準備は進んでいきました。

ところがそんな中、
事件が起きました。

自称•右翼活動家による恐喝でした。

(つづく)

 

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

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