高橋弘会長(万葉倶楽部)の自伝、
神奈川新聞連載の
”わが人生”その(81)
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ーカラーフィルムをめぐる
大手メーカーとの
闘いに勝利した1964年10月、
日本は
東海道新幹線の開業、
東京五輪開催と
経済成長の
真っただ中でした。
そんな同年同、
「日本ジャンボー」は
写真DPEの生産拠点を
静岡県熱海市から、
隣接する
神奈川県湯河原町に移しました。
60年に
大型自動焼付け機を
設置するため
創業と同時に設けた
熱海伊豆山の工場は、
借地に建てたものでした。
その後の62年に
湯河原の門川に
社宅兼用工場用地を
購入したのですが、
ここには工場を建てず、
同じ湯河原町土肥の
別の土地を購入。
こちらに生産拠点となる工場
「湯河原総合現像所」を設けたのです。
(つづく)