髙橋弘会長(万葉倶楽部)の自伝”わが人生”(66) ーカラーフィルムを独自現像して商機をつかむー

今日はさいたま市から
美容室用品卸販売の
土屋清志氏(アースクリーン)が

六本木の
不動産コンサルティング、
P&MのW社長を伴い来熱した。

同社が取り扱っている
熱海市内の売買物件に
案内された。

つい去年まで、
美容関係者が経営していた、
各種温泉を主体に集客していた
素晴らしい施設だった。

何をどうかについては、
ここでは語れないが、

6500坪の敷地は
用途によっては
ビジネスチャンス溢れる物件だった。


さて、

高橋弘会長の自伝、
”わが人生”の(66)回目である。

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ー1960年代前半は一般の方に
カメラが急速に普及し、

64年の東京五輪に向け
カラーフィルムも
広がり始めた時代でした。

テレビでも、

60年にカラー放送が始まり、
世の中のカラー化が幕を開けました。

こうした中、

カラーフィルムの現像は、
わずか数社の
大手フィルムメーカーが
一手に握っていました。

理由の一つは
高度な技術が必要なので、

大手やその系列でないと
困難だったからです。

そこで私の設立した
「日本ジャンボー」では、

カラー用現像液を
工業薬品会社につくってもらい、

63年頃から
自社での現像を実現しました。

独立系のDPE店で
独自にカラー現像していたのは
当時、当社ぐらいだったと思います。

白黒フィルム時代には
独立系の小規模店が
多くありましたが、

カラー化の波とともに淘汰され
大手の系列店ばかりになってしまいました。

(つづく)

 

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

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