髙橋弘会長(万葉倶楽部)自伝。”わが人生”その(28) ー1954年3月、実家(髙橋商店)入店ー

今朝は東海道線で平塚に。

平塚駅構内で
細川淳一先生と合流し、

平塚在住で共通の知人で、

日本国防協会理事及び、
一般財団法人国づくり人づくり財団
特別顧問及び、
中大大学院開発機構の
宮◯知直教授をお見舞いする。

その後、

JR飯田橋駅に出て、
渡邊◯氏(三水社)等と
鍋田綋亮氏の事務所に向う。

鍋田氏は
生体電流測定機(EIS)を販売する
野口グローバルライフの代表で、

渡邊氏がEIS導入を検討している
とある法人代表を案内して
EISの精度確認を予定している。

それを済ました後、

新宿歌舞伎町一丁目にある
ヘアーサロン「ペネロープ」で、
同社の営業会議に同席する。

さて、

髙橋会長の自伝である。

・・・わが人生・・その(28)

ー歴史なら世界史か日本史かを選び、
自分で時間割を作ります。
学年による
教育課程区分がありませんから、

2年生や3年生と
一緒に事業を受けました。

人気のある科目は、
40人の教室に150人くらい
集ってしまうこともありました。

単位制という点に、
戦後の新しい時代を実感しました。

自分の考えで行動するという
主体性も育まれたと思います。

高校2年生になると
写真部に入部しました。

このことが
私の人生を大きく変える
キッカケになるのでした。

1954年3月、

静岡県立三島南高校の
商業科を卒業した私は、

同県熱海市で父が経営する
「髙橋酒店」に入りました。

主な仕事は、

旅館や個人宅への
酒類や醤油などの配達です。

入店に備え、
高校3年生の一月に
運転免許を取りました。
配達に使うのは
ダイハツの三輪トラックです。

ハンドルがT型で、
バイクのように
キックペタルを踏み卸して
エンジンをかけるのです。

この三輪トラックでは、
近所のミカン業者さんに頼まれて、
市街地の商店に卸す
ミカンの運搬も手伝いました。

(つづく)

写真は訪ブルネイ時に
駐日本大使館室での一こま。

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

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