髙橋弘会長(万葉倶楽部)の”わが人生”(29)ー 家業(酒屋)で培った独立心 ー 

昨日の平塚から茅ヶ崎、
神田から歌舞伎町での
日記を掲載する前に、

髙橋弘会長(万葉倶楽部)の

神奈川新聞連載の自伝の
転載を急ごう。

・・・ わが人生・・その(29)

ー熱海の旅館は山の斜面に
へばりつくように立つ
建物が多いので、館内に
階段が多いのが特徴です。

旅館の前までは
三輪トラックで運べても、

館内の冷蔵庫に納品するには
ビールや酒を抱えて階段を
上り下りしなければなりません。

エレベーターなどはまだ
ほとんど設置されていませんでした。

例えば私が担当していた
親戚の旅館でが

「ビールをお持ちしました」と
裏口で声を掛けると、
「ごくろうさま、宴会場に運んでおいて」。

宴会場は125段の
急な階段を下りたところにあり、
そこにある業務用の冷蔵庫に
ビールを入れるまで
私の仕事なのです。

瓶ビールは現在1ケース20本ですが、
当時は1ケース24本でした。

しかも

プラスチックケースはなく
木箱でしたから、
重量は合計約34キロ。

旅館にはそれを30ケース単位で
配達するのが常でした。

「よいしょ」。

2箱を背中に乗せ、
後ろ手で支えて階段を下ります。

上がるときは、
前の晩に宿泊客が飲み干した
空き瓶を2箱背負って戻ります。

まるで“往復ビンタ”です。

これを繰り返すのは、
10代の私にも
相当お過酷な労働でした。

それでも利益が大きければまだしも、
そうではありませんでした。

(つづく)

写真はブルネイ訪問時

 

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

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