髙橋弘会長(万葉倶楽部)の”わが人生”その⑰ ー鉄鎚克服の思い出ー

昨日のGW初日の
我が飲食店(Ya~Ya~屋)は
昼夜営業したのだが、

人数的にはそこそこに
活況があったのだが、
アルコールの出が少なく

やや思惑外れの
売上げとなったが、
今日に期待を込めて

髙橋弘会長(万葉倶楽部)の自伝、

”わが人生”(神奈川新聞連載)から、

小学校の頃の
思い出綴りを掲載する。

・・・

ところで、

海のそばに育ったからと云って、
誰もが
自然に泳げるように
なるわけではありません。

あれは

熱海市熱海国民学校3年生のときでした。

上級生たちと浅瀬で遊んでいたら、
突然手足を抱えられ、

「そうれ」と

深いところに放り込まれました。

ドボーン、ブクブク・・・・。

何が何だか分からないまま体が沈み、
青い水が見えました。

体がゆっくり浮き上がります。
めちゃくちゃに体を動かし
浜に戻り、

置いてあった服を抱えて
逃げ帰りました。

私が泳げるようになったのは
この荒療治のおかげです。

当時はこんな風に、

上級生が下級生を
”育てる”のが
子供の世界の伝統のようなものでした。

(つづく)

(エイジシュートを達成し、
我々の良きゴルフパートナーだった、
故鈴木翁と)

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

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