昨夜、中央町の事務所に金沢市片町で
飲食店グループ(イグジスタンス)を経営する
仲林将貴氏が挨拶に訪れた。グループの熱海店として、
渚町にオープンしたスナック「さんかふぇ」の
一周年記念に駆けつけた。お話しでは、
宍戸大祐店長のこれまでの努力と実績を賞賛し
市顧客獲得に努力したことに対して、近々、
独立を視野に入れていることを明かした。
何れにしても、熱海に誘致した小生としても、
途中で投げ出さずに継続した大ちゃんには、
今後とも更に愛されて欲しいと願う次第である。さて、
日台を結ぶ国際交流と云う視点からも
「飯田豊二」は貴重な存在である。飯田家の
家系図から、豊二と成島柳北の7女が結婚し、
二人が親子関係と知ってから、俄然、
想像力がかき立てられたのである。これまでにも、
平成の金色夜叉のあらすじ(プロット)募集を
企画実行したことで、“ADさんいらっしゃい”に
繋がったことや、熱海の観光と防災の切り口で、
海上自衛隊横須賀地方隊最新鋭掃海艇「はつしま」の
熱海初度入港を企画し成功した事例等と比較しても、
日台友好、静岡と高雄を結ぶ新たなる国際交流、
観光振興プランの具現化は高い。そこで、
これまで記載の「飯田豊二」関連ブログと
被る部分もあるが、今一度、明治維新後、
熱海に訪れた文人墨客のうち、明治以降の
近代熱海の温泉史に名前を残す、三大恩人と称される、
尾崎紅葉、坪内逍遥ともう一人、「成島柳北」を
熱海に関する記録を、元熱海市立図書館長で
郷土資料研究科の小林米男氏が、小生発行人の
「日刊アタミ」に掲載して頂いた、
“大恩人の柳北”から抜粋してご紹介しよう。
柳北は、天保8年(1837)江戸で幕府奥儒者の家に生まれた。
「幕府奥儒者」=江戸幕府の職名で、将軍に儒学を侍講し文教を司るもの。