今日午後自宅ビルラーメンハウスにお世話になったあの方が昼食に訪れる。
小高春代さんは閉院した熱海診療所の看護師さん。熱海診療所は、
市議と県議を務めた女医・竹内静香氏のクリニック。小高さんは、
昭和45年から元旧東京都老人ホーム(伊豆山)に勤務した後、平成3年、
同老人ホームの専門医だった竹内氏の診療所に移り、平成2012年暮れに、
閉院するまで43年の長きにわたって竹内女医に使えた。ただ、2011年頃から
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「腰部脊柱管狭窄症」に悩まされ閉院と同時に、浜松医大の指導のもと、
遠州病院で背中にチタンを入れる大手術を行った。症状が悪化していた際には、
身体が変形くの字に歪曲し見ている方も苦しさを共有していたが、今日の小高さん、
杖を支えにしていたものの、身体も顔もスッキリし若々しさを取り戻していた。
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昼食しながらのお話で1年半の空白を埋める。脊椎管狭窄症については、
部の脊柱管が、何らかの原因で狭くなり、脊柱管の中を通っている神経が
圧迫されることによって腰痛や痺れをおこす病気で、若年から高齢まで、
あらゆる年代で発症する可能性があるようだ。この病気は、
50歳代から60歳代~70歳代までの方々に多く発症する傾向にあると知らされた。また、
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竹内女医は過去においては、市長選に挑戦、惜しくも僅差で涙をのんだ後、
スッパリと政界から引退した女傑で、小生とはローカル紙を発行していた頃から、
市議初当選から閉院まで主治医としてまた、市議会の先輩として教訓を受けていた。
そんなこんな、女医さんだけでなく、小高さんともう一人、事務を担当していた
松田さんのお三方にはお世話になりっぱなしだったことを思い出させる再会だった。また、
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竹内静香氏の著書「私の発言集」(三つのい・の・ち)1993年刊には、
県営水道用水供給単価の統一や固定資産税評価がえ、観光問題、財源対策や
中学生の非行対策、道路路線名にニックネームをつけること、
マンション問題等、現在に通じる課題を議会に提起している。小高さんと別れた後、
自宅に戻り竹内静香女医の著書を引っ張りだす。わがまち熱海市が
何年経っても誰が首長になろうとも、変わることのできない基幹産業依存症と
その後遺症から復活できるヒントが記されていれば幸いである。