石田昭男氏(旧臨海ホテル)的生き方。

午前中、石田昭男氏が事務所を来訪した。昨日の今日である。お茶しながら、
臨海ホテルのチラシを下に、石田氏を囲んで先客の富岡隆氏(富岡酒店)、
土沢昇氏(パソコン119番)等と古(約20年前)をしのんだ。先ず、
石田氏は旧臨海ホテルのポストカードを懐かしんだ。別刷のチラシも資料に、
当時の記憶を手繰りつつも当時の業界の実態や自身が置かれた立場を語った。

石田昭雄氏は旧臨海ホテルの実質的オーナーとして奮闘されたが、
昭和50年代にホテルを売却し、暫くの間某寺が経営する幼稚園児の送迎バスを担当し
平成5年から9年間、ケアリゾートマンションの管理責任者を務めた後、
某リゾートマンション管理組合の管理責任者として現在に至っている。また、長男は
共同通信の敏腕記者、次男が東芝ライテックの技師として活躍されており、次男は
セントレア(中部国際空港)滑走路の照明を担当し週刊新潮に特集された。

石田氏のルーツは熱海の旧家・石田酒店で、昭和32年明治大学を卒業し、
結婚して親族となった故青木良平氏が経営する臨海ホテルに入社する。
故青木良平氏は市議会から県会議員に上り詰めた方で、熱海の巨星と称された
旧大月ホテルの創業者・故山田弥一氏(当時衆議院議員)の側近として
当時の政官業に影響力を持った人物でだった。この時代のエピソードは省くが、

早い話し熱海温泉の隆盛期から、東京オリンピック以降のレジャの多様化や、
危機意識なき保守的構造に胡座をかいたことで地盤沈下して行く宿泊施設を
身を以て体現した経験者の一人でもある。また、

昭和51年にはホテル出火から義父を失い、その後の押し寄せた、
東海岸町ホテル街淘汰の波に流され、自身も辛酸を味わった。その流れの中で、

故伊丹十三氏が初監督した映画「お葬式」の制作に貢献して頂いた。この映画では、
スタッフ俳優さんたちが一ヶ月以上も滞在するなどして、映画成功の架け橋となった。
このご縁を通して更に親交が深まり、今日までお付き合いさせて頂いている。
今後も他の人脈にソポットを当てた際に関連者として再登場して頂く予定だが、
かつて石田氏が小生の送ってくれた格言に、“木っ端を拾って木材を流すな”がある。

石田昭男氏と
旧臨海ホテル

 

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