今朝の散歩はショートカット。暖気が緩み散歩にはベストな気候。ただ、
小雨がぱらつく中、濡れるのを嫌がり歩みを止める愛犬ふ〜。
無理強いせず事務所に戻る。事務所からホテルサンミクラブへ。
サンミから網代へ。網代から起雲閣。起雲閣から来宮神社へ。
甘味処福屋から咲見町のさぬきやへと移動し、午後2時少し前、
熱海駅へとお送りする。一泊2日の短い時間だったが得たものは多く、
来月始めには東京にて再会する予定となった。
今日の日程を記する前に昨夜から続いている話の一部をご案内する。
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昨夜は渡部保子日本映画批評家大賞選考委員会代表、荻昌樹事務局長、
石森史郎氏(脚本家)等と宿泊先のホテルサンミ倶楽部にて
映画制作と観光振興、各種映画祭開催と経済波及効果について、
昭和30年代の銀幕のスターとの交友録など、隠れたエピソードも交えて
タップリと聞く事ができた。渡部保子代表と石森氏は日大芸術学部の同期生。
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渡部代表は、19歳で脚本家としてプロデビューした
石森氏の後を追うようにして、日本映画全盛期の映画雑誌「映画の友」と
「映画ファン」を出版する世界映画社に入社。
淀川長治編集長のもと編集部員として廃刊するまでの6年半にわたり
「映画ファン」を支えた。映画界の斜陽化と共に
映画評論家として評価を高め現在に至っている。この間、
日本映画一筋60年間。雑誌編集を始めとしたキャリアと華麗な人脈形成から、
全国的に通用しそうなビジネスコンテンツを確保している。例えば、
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プレゼントされた日本が誇る監督さんたちの似顔絵を描いた、
幻のイラストレーター直木久蓉氏と
世界映画社社長橘弘一郎の実弟早田雄二カメラマン。先ず、
直木氏について渡部代表はイラストを指差しながら、こう話す。
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—この方は戦前から映画世界社発行の雑誌に
スターたちの似顔絵を口絵やカット用に描いていた人で、
その腕の見事さはあの「アンパンマン」の
やなせたかし氏が東京新聞の夕刊に連載された自伝「この道」の中で、
“あこがれの人でした”と書いて下さったほどの人なのです。
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誰の目から見ても間違いなく、
世界の映画スターの似顔絵を描かせたら当時の第一人者だったといえますー
(つづく)