熱海市有形文化施設「起雲閣」、錦鯉の飼育を考える

ハコ物行政に関して云々するのが、今日のテーマではないが、 今朝の地元紙には、 旧日向別邸(重要文化財指定)の 保存会なる組織が発足したことが大きく掲載されていた。 保存会設立総会と会員の写真から推測して、 2期目を意識した、斉藤市政の布石が透けてくるのだが、

ハコ物行政に関して云々するのが、今日のテーマではないが、
今朝の地元紙には、

旧日向別邸(重要文化財指定)の
保存会なる組織が発足したことが大きく掲載されていた。

保存会設立総会と会員の写真から推測して、
2期目を意識した、斉藤市政の布石が透けてくるのだが、

赤字財政で二進も三進も行かない状況下、
保存に向けた具体的な資金手当についても知りたいところ。

さて、文化財と言えば、
熱海市が文化の拠点と位置づける「起雲閣」は、
指定有形文化財として一般公開されているのだが、小生は、

熱海市の財政赤字の”象徴ハコもの施設”と位置づけている。

基幹産業がバタバタ潰れ倒産している現状を見て、
起雲閣が買収当初、施策として掲げられた、

観光地熱海への経済波及効果は現況からは見えてこない。

ただ、今朝の地元紙に掲載された、
「旧日向別邸」保存に、
起雲閣が抱える問題点を炙り出すことで、試金石となれば幸いである。

起雲閣に関していえば、話せば長くなるが、

この施設、運営会社の倒産から、
所有権が金融機関(当時のS銀行)に移る以前から、
内情を把握する立場にあった。

S銀行に権利が移行する前、
高橋弘会長(当時日本ジャンボー会長)が買収に向けて情報収集しており、
金沢にあった本社を訪問する際にも、運転手としてお付き合いしている。

前市政の意向を受け、金融機関に対して任意売却の方向で、
当時の側近議員が交渉していたことを知り、

一期生だった小生は、
その行為の真意について等議会で質したが、結果、
多数決をもって、
「起雲閣」の所有権は熱海市に移された経緯がある。

何が問題だったかは、ここでは省くが、
要するに、夕張市ではないが、将来の展望を図らずして、

ハコ物に巨額な”血税”を注ぐことへの懸念を質したのである。
あれから約10年、

案の定、熱海の財政は”真っ赤っか”となり、懸念が的中した形となっている時に、

篤志家から寄贈された貴重な「錦鯉」37匹の内、
半分以上を”見殺し”にした内部事情が、寄贈を仲介した市民から知らされた。

これこれこういう事情で、全く持って許されない。と、激怒し、
薄らと目に涙を浮かべ事情を訴えたのは、
小生がメンバーでもある、月一親睦会「元気会」のリーダー、

太田信雄氏(伊豆山在住、ブリーダー)だった。

訴えかけられた翌日、起雲閣では、
熱海市善行賞・功労賞の授賞式が行われることになっていた。

開催時間前、幹部職員に事情を話し、

鯉が飼育されている、庭園内の池を覘いたところ、
何と!、偶然か必然なのか、

一匹の錦鯉が、まるで、

残った錦鯉の助けを、
訴えかけるようにして浮き上がったのである。

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観光文化サロン(起雲閣)館長からも、事故原因について、

太田氏から説明を受けた内容とすり合わせるため、
即日文書で頂戴しているが、

そんなこんな、

今日午前中に、庁舎控え室にて集まってきた、
担当職員や幹部職員5人に今後の対策について伺った。

その際、寄贈者に対する反省の弁や、
謝りの言葉もあったが、先ず、

錦鯉の寄贈経過について報告し、
仲介された太田氏や、
寄贈して頂いた「森山」氏に対して謝辞を述べたい。

///// 錦鯉寄贈経過 ///////

1 平成20年8月下旬
ペットショップ大田さんの紹介により、
起雲閣に錦鯉の寄贈申し出の話を電話にて受ける。

(大田氏は起雲閣池の鯉の餌の納入業者)

2 8月28日寄贈者「森山省五」様ほか2名(孫夫婦)、
来館当日大雨により池の様子が計られる状況ではなかったが、

その場で錦鯉の寄贈の申し出を受けました。
(森山省五氏 埼玉県所沢市・・・・・・ 84歳)

3 その際、森山さんの依頼により
池また浄化を促す器具(循環器)を取り付けるよう申し出がありました。
(現在既存の循環器1台稼動しています。)

4 10月22日森山氏の依頼もあり、池の清掃を行う

5 10月29日埼玉県所沢市の森山宅に錦鯉を受け取りに行きました。
(野口館長・田中職員・大田さん)

・錦鯉37尾及び稚魚(新潟の養魚所より買い付けによる)
・浄化槽の作成を依頼され図面を預かりました。
・鯉の飼い方についてご指導を受ける。

6 森山さんの指示により鯉が滝登りする箇所を止める。
水かさをあげるようにと排水溝の高さを上げる。

7 11月29日森山氏来館鈴木部長より感謝状の贈呈
この時期に15尾ほどの稚魚はほとんど黒鷺の餌として”いない”状況でした。(原文のまま)

(つづく)

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