熱海”新奇跡の松”(生き残りの松)を保全せよ

第3土曜日の今夜は月一親睦会「佐口会」が、
ラーメンハウス「Ya~Ya~屋」(咲見町)で開催された。
例年のことではあるが、
確定申告の時期、「熱海温泉」は閑散となるのだが、
今夜はどこの旅館、ホテルも満館だと、
メンバーの一人で、
駅前第一ビル「ロイヤル・リゾート」矢野所長は席に着くなり、
駅前番頭さんの話だが、と、前置きしつつ嬉しいニュースを運んできた。
今夜の出席者は19人。話題は、
定額給付金や中川ショック等テレビネタから始まり、
市長が新設する「総合政策推進室」に対する質問や、
議員報酬削減は何%で決着するのか。等、市議会に関する問題まで、
市民生活に欠かせない幅広い情報交換となった。
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今夜は「熱海リラックスリゾートホテル」(貞方邦介社長)から、
地元「富岡酒店」(富岡隆社長)の娘さんで、
エステシャンの富岡小百合さんがゲストとして、
平石啓三郎氏の隣に座り、顔見知りと言うこともあってか、
   スムースに親睦会に溶け込んだ。
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花村四郎氏や喜地尭氏(写真右)、
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島袋スタンド(湯河原)や栗本石油社長、
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その他、深沢工業社長等が参加した。
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先月からメンバーとなった、鈴木氏と福田氏等が、
湯河原町での農業振興に興味があるのか、
佐口静雄会長(佐口農園)から、
にんにく栽培に関する情報を熱心に聞いていた。
(左から佐口、鈴木、福田氏)
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会は午後8時30分に閉会したが、
鈴木氏からは、先日ブログアップした
”熱海新奇跡の松”について、
先を急いで。との、リクエストに応えたい。
///// 熱海新奇跡の松(生き残りの松) /////
熱海を走る「国道135号線」沿い、
旧玉ノ井旅館敷地内に根を張る一本の松。
由来を伝えてくれた方は、
山口藤子さん。(元市議会議員故山口包夫氏夫人)
                 (山口藤子さん)
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小生が”奇跡の松”(生き残りの松)と称したのは、
戦前、日本陸軍の戦闘機が、
試験試射した新型兵器(ロケット弾)が誤って、
玉ノ井旅館玄関を直撃、全焼したにもかかわらず、
この松だけが無傷で残っただけでなく、
昭和25年の熱海大火でも、俄かに信じられない話だが、
”奇跡の松”を前に風向きが急変し、
業火に焼け落ちることなく今に歴史を伝えているのだ。
何とも不思議な奇跡の松だが、現在、
旅館は売却され、
高層ホテル建設計画を前に、運命の岐路に”立たされて”いる。
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”熱海生き残りの松”として、
観光名所として売り出せる、”幸運”という歴史を備えており、
行政当局の保護管理について検討出来ないか、
もう一本、国道135線沿い「旧村上旅館」玄関先にある、
”太宰治”縁の松とともに、政調会で提言しかつ、要請した。
 (左奇跡の松(生き残りの松)と左太宰治縁の松)
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先ず、奇跡の松(生き残りの松)に絡めた、
熱海の秘話が冊子として残っているのでご案内したい。
////////////// 熱海爆撃 //////////////////////
昭和19年から米軍の本土爆撃が激しくなり、
敵の艦隊の攻撃が予想されたため、熱海では、
笹ケ台を中心に、要塞陣地用の壕の構築が始まっており、
町内各戸から一人ずつの人員の供出が強制された。
一日煙草三本と米五勺の特配が、その日の報酬で、
来宮に本部を置く暁部隊のために、
電球や皿・小鉢の供出が命令されるなど、
平穏な熱海にも、軍の重圧はひしひしとのしかかり、
土地の人と部隊長との感情的なもつれが起こったのもこの頃という。
  (この部隊長は終戦の二ケ月後、陣地のある林の中で自殺したとある) 
網代でも暁部隊の艦艇の徴用と、
兵隊による要塞壕の構築が始まり、網代町役場の裏山に
奥行き二〜三十㍍のコンクリートによる防空壕ができあがり、
また和田木小山の海岸の絶壁 (現マリンホール山側) には、
特殊潜航艇の避難壕(基地)などができ、
伊豆山稲村の国道の崖に砲台の壕が造られた。
昭和19年12月24日午後4時四42分、円本陸軍の飛行機が、
厚木飛行場より飛来し、
熱海海岸より
真鶴の二ツ石を目標にして試験発射した新型兵器(ロケット弾か)が、
方向を90度変えて熱海の陸地に向かって飛来し、
埋立地の堤防を乗り越えて、海岸道路を隔てた
玉の井旅館の広間と女中部屋に飛び込み、
そのために旅館と離れと女中部屋と、
伊藤養蜂店など五戸を全焼し、女中の沢木さんが死亡、
外に2名の女中さんが負傷しましたといい、
損害は当時の金額で165万円、
消火には、ポンプ車8台、手引きポンプ2台が当たったという。
この事件は秘密にされ、またその建物の復旧は
軍部のお声がかりで、きわめて迅速に行われたと、冊子には書かれている。
その冊子の題名と作者については、
太宰治縁の松のコーナーでご紹介いたします。

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