八時半の男、逝く!

巨人ファンでなくともプロ野球ファンあれば、
一度は聞いたkとがある、
ジャイアンツ”V9”時代。
そこには、王や長島、金田や城之内、
堀内、柴田選手など、
往年のスタープレィヤーが
綺羅星のごとく輝いていた。
”巨人・大鵬・玉子焼き”と、
常勝を義務付けられ、
それを達成してきた多くの選手たちの、
存在感は、
今もって脳裏から離れていない。
故「宮田征典」氏もその一人。
65年といえば、
小生が高卒して「熱海後楽園」に入社した年。
大の巨人ファンが高じて、
遠く北海道の片田舎から、
”後楽園”と名のつくところに就職した、
とぃっても、過言ではないほど、
長島のファンであり、王のファンでもあった
宮田選手の名前が連日スポーツ紙に、
踊ったのは、
丁度入社した年で、
7,8回から、
先発投手が崩れつかまったあと、
リリーフの切り札として、
宮田投手が、
8時半の男として、
テレビ観戦しか出来なかった、
当時、
テレビのブラウン管に登場、
キッチリと押さえ、
ファンの心をがっちりと捉えていた。
その「宮田」氏とは、
何度か会う機会があった。
現在中日ドラゴンズの選手で、
「川岸強」投手の実父、
「離れの・・・宿 ほのか」の、
川岸洋一会長の紹介だった。
実際にお会いしたのは、
昨年の8月、
「ほのか」のオープン披露の席でだった。
小生が司会進行を勤めさせて頂き、
失礼ながらも、
ご指名して”マイク”を握って頂いた。
気さくな紳士で、
記念写真も嫌がることなく、
笑顔で応じて頂いた。
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ご冥福をお祈りいたします。

村山憲三 ▪︎熱海市議会議員(5期)  

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