DR喜夛の健康手帳(11)

先日「熱海後楽園」
オープン当時の同期生の、
三辺取締役から朝の散歩の途中に電話が入った。
同期生の訃報だった。
記憶では、昭和39年、
母校「釧路湖陵高校」での
採用試験から、
配属が決まる、
昭和40年オープン時まで、
”銀山寮”時代を含め、
気脈を通じていた仲間だった、
「田甫幸雄」氏が、
心筋梗塞で突然死したと言う。
同期生と結婚して、
奥方の実家である「名古屋」市内の、
電気工事店に入社、
去年40年ぶりで開催された、
全国に散っていた
同期生の親睦会「あすなろ会」では、
当時とは少しも変わらぬ、
真っ黒でふさふさした頭髪をさし、
ーお前はいつまでも若いな~-と、
飲み明かしたばかりだった。
三辺取締役は、
今年も”7月5日”に、
ホテルに予約を取り再会する予定だったと、
悲痛な声で通夜の日取りを告げたのだが、
残念ながら予定が詰まっており、
「通夜」には出席できず、
香典を依頼した。
その際「三辺取締役」から、
元気に見えた外見の割りに、
心臓に爆弾を抱えており、
ゴルフなど過激な運動を控えるように、
医者から注意を受け、
薬も話さず携行していたという。
それにしても、
外見からは持病を抱えていた様子は、
微塵も感じられなかったのだが・・・・。
ー冥福を祈るー
さて、今日は久しぶりの”議員ゴルフ”が、
西熱海ゴルフ場で行われ、
夕方からは、
大阪から「KAZUKI]が
サンケイ出版の担当者を伴い、
打ち合わせのため、来熱する。
そのあとは、
6月定例会終了の
議員勉強会”11会”の打ち上げに重なり、
月一親睦会「アキンドたちの夕べ」が、
午後7時から開催されるため、
ブログは朝のうちにアップするために、
今日の出来事は明日以降ということにして、
好評の、
「DR喜多」の健康手帳を掲載する。
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最後まで生きぬくために
がん患者の中には、
思いがけない死がやがて、
訪れるという事実を、
強い精神力で冷静に受け止め、
医療側の色々な、
情報を得た上で、
自分自身の治療を選択し、
周囲の人々に支えられながら、
困難と闘い、
なお生きるという、
誰にもできないような、
質の高い生活を送っている人がいる。
たとえいろいろな経験を積み、
優れたサポートのできる、
医療スタッフであっても、
患者自身に死と向かい合う、
強い精神力がなければ、
残された”生”への意欲を、
引き出すことはできない。
このような精神力は、
普段から、
時にはいつ訪れるかもしれない、
死を考え、
また一度しかない人生を考え、
たゆまぬ自己管理を継続した結果、
生じるものだと思う。
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だれでも、
与えられた平等な、
一日二十四時間を、
効率よく過ごし、
明日につないでいくためにも、
計画的に身体を鍛え、
高いレベルの肉体と、
精神力を養うべきである。
自分自身に、
どんな形で訪れるかもしれない、
死を冷静に見つめ、
立ち向かうことができるように、
わたしたちは、
常日頃から一日一日を、
大切に生きなければならない。
そうすることにより、
余命を有意義に生きぬくという、
大変困難な選択を、
下すことが出来るに違いない。
/////////////////
DR喜多(喜多薫)
1941年和歌山県生まれ。
68年和歌山県立医科大学卒業。
75年大阪岸和田にペインクリニック開業。
81年医療法人幸会喜多病院設立。
04年病院経営から撤退
05年「メディカルステーションきた」を設立、
予防医学を中心に、
「病気にならない体つくり」をテーマに奮闘中。
俳優「小林稔侍」さんは、
学生時代からの親友。

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